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今日の朝日の朝刊の一面に「カダフィ氏死亡」の見出しが大きく掲載されていた。欧州金融危機で世界経済が混乱し、国内も原発問題、TPP交渉など迷走しているこのご時勢、アラブの情勢はすっかり忘れていました。
カダフィ氏死亡、リビア暫定首相が発表 国づくり本格化
エジプトの英雄ナセルに見習い、自らも大佐と名のったカダフィ大佐。カダフィ氏がナセル同様に後世まで英雄として語られるかどうか疑問だが、ここまで粘り強く生き残ることが出来たのは、強力な支持基盤があったからに違いない。

帝国主義打倒は反米思想に繋がる。もっともリビアのケースでは、利権を得るために介入したヨーロッパ諸国にたいする反発も大きかったわけだが。要するに反帝国主義なのだ。かつてコソボ紛争の際に、カストロさんがNATOの暴虐ぶりを機会があるごとに非難されたように、今回の欧州の介入に対しても批判の記事を書かれた。第三世界のリーダーとして、帝国主義に対して果敢に闘いに挑んだ点で、リビアとキューバは重なる。

ユーゴで思い出したのだが、こんなニュースが掲載されていた。アジアの最期の独裁者はゲバラに憧れ、彼のボスニアの友人はチトーに憧れているンだそうだ。
キム・ハンソル、ボスニアでの友人はチェ・ゲバラ崇拝者?
友人タミルは「ヨシップ・チトーのように国家の真の統合を導く政治家になることが夢」という話もした、そうだ。ゲバラやカストロさんがキューバの英雄ホセ・マルティやマセオを崇拝したように、時代の英雄は先人たちから、イデオロギーや人間性など多くのものを学び取る。まだまだ青二才の次期独裁者(?)とそのお友達は、チトーやゲバラのカリスマ性に魅かれているのだろう。リビアのカダフィもまた、エジプトの英雄ナセルに憧れていた。

「英雄のいない時代は不幸だが、英雄を必要とする時代はもっと不幸だ。」ブレヒトの言葉にあるように、英雄を必要とした時代は今日より不幸であったのだろうか。ニュースを追っていけば、時代は確実に、民衆が主役となる時代へと変遷している。世襲など卑劣なやり口で政治独占を図る指導者を許すことは出来ないが、強烈なカリスマをもって国を統治していくことは間違いではないと僕は思う。しばしば両者は結びつけてマスコミなどで論じられるが、まったく別物だ。

体制内に世襲を根付かせた北朝鮮やリビアの指導者は打倒されて然るべきだろう。しかし、打倒する側もまた利己主義に塗れていれば、元も子もない。カダフィを打倒したは良いが、政治的な構想を持たない民衆が今後どのように国政を司っていくか。この打倒を革命と捉えるなら、これからが正念場であるに違いない。かつてカストロさんはハバナ入場後、コロンビア兵営で以下のように民衆を諭した。

No nos engañamos pensando que en lo adelante todo será fáil.
未来を楽観視して、自分をごまかしてはいけない。
Quizá, en lo adelante,todo sea más difícil.
恐らくこれから先は、皆にとって、さらに困難になるだろう

DISCURSO PRONUNCIADO POR EL COMANDANTE FIDEL CASTRO RUZ, A SU LLEGADA A LA HABANA, EN CIUDAD LIBERTAD, EL 8 DE ENERO DE 1959.

民衆革命が成就したと報道されて久しいエジプト。未だに国の将来像は見えていず迷走している。英雄(賛否両論によって独裁者とも呼ばれる)がカリスマで国家ビジョンを定める時代は終焉を迎えた。それもひとつの時代の流れなのだろう。ならば変わって、一人ひとりの民衆が主体的に物事を考え、価値観を形成していかなければならない。そしてこれまでの時代以上に、真剣に国政に携わる責任が求められるに違いない。
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