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キューバ危機の最中、ゲバラはどこで何をしていたのだろうか?

10月22日にケネディがホワイト・ハウスのオーバル・オフィス(Oval Office)から行った演説によって、キューバ中が臨戦態勢に入った。グアンタナモ基地がある東部はラウル・カストロに任され、サンタクララがある中部はフアン・アルメイダさんが指揮をとられた。そして、東部のピナール・デル・リオ州、ここはソ連の戦略ミサイル基地が置かれ、もし侵攻が始まればこの地域を巡って激しい攻防戦が繰り広げられることが予想されたが、このキューバ危機の最前線にはチェ・ゲバラに任された。

東部は上述の事情から、全兵力の半数が割かれ、とりわけ精鋭部隊が受け持っていた。当時、キューバの軍隊は10万5000人で成り立っていたが、有事の際はその三倍、40万以上に膨れる。革命にあまり興味がない人たちも、祖国の主権が脅かされていることをケネディの演説で知り、進んで銃を取り民兵の士気も高かった。

ケネディの演説の2日前の10月20日、ちょうど50年前の今日、ゲバラは青年組織の記念集会に参加し、演説のラストであの有名な名言をのこした。
Y si se nos dijera que somos casi unos románticos, que somos unos idealistas inveterados, que estamos pensando en cosas imposibles, y que no se puede lograr de la masa de un pueblo el que sea casi un arquetipo humano, nosotros tenemos que contestar, una y mil veces que sí, que sí se puede
もし、われわれのことを夢想家だとか、救いがたい理想主義者だとか、不可能なことを考えているとか、人民大衆の中から理想的な人間を輩出することが出来ないと言われるとすれば、われわれは何度でも答えなければならない。その通りだ、それは可能であるのだ。と


この集会の音声は公開されている個所とそうでない所がある。この箇所はいまのところ映画「チェ、新しい人間」のラストシーンでしか聞けない。上述の名言はUJC(青年共産主義者同盟)で言われた言葉だが、次世代のキューバを担っていく人たちに相応しい言葉だろう。「新しい人間」の名称が入れられたドキュメンタリーのラストを飾るにも相応しい。

↑は演説の後半箇所のほんの一部。もしフル音声を発見された方は教えてください!

この集会の冒頭の箇所は音声が公開されているので、1年ほど前に訳している。

La Unión de Jóvenes Comunistas tiene que definirse con una sola palabra: vanguardia. Ustedes, compañeros, deben ser la vanguardia de todos los movimientos. Los primeros en estar dispuestos para los sacrificios que la Revolución demande, cualquiera que sea la índole de esos sacrificios. Los primeros en el trabajo. Los primeros en el estudio.Los primeros en la defensa del país.
青年共産主義者同盟は、 "前衛" というたった一つの言葉で規定されなければならない。きみたち、同志諸君は、あらゆる運動の前衛でなければならない。革命が犠牲求める場合、真っ先に犠牲にならなければならない。たとえそれが、どのようなものであってもだ。労働においても真っ先に、学習においても、祖国防衛においても先頭に立って犠牲にならねばならない

UJC.jpg
↑でゲバラが机上に座って演説しいている写真が確認出来る。まわりの幹部より一歩、若者たちに近づいているような印象を与える、これも一種の前衛と言うべきだろうかw
UJCの記章の両サイドにはキューバとソ連の国旗が掲げられている。当時は4万名以上、ソ連から密かにキューバへ防衛のために集っていたので、会場にはソ連出身の青年もいたのかもしれない。共産主義については研究の埒外だが、この演説は一般青年にも通じることを言っている箇所、例えば組織の重要性についても説いているので、また別の記事で取り上げたい。

ゲバラは演説の後、労働者の前衛として繊維工場へ向かった。
¿Qué debe ser un joven comunista?
20 de octubre de 1962
Discurso en la conmemoración del segundo aniversario de la integración de las organizaciones juveniles.

そして上述のケネディの演説により、自分の担当地域、すなわちキューバ危機の最前線へと向かった。祖国防衛の前衛として。コマンダンテ・チェ・ゲバラはソ連のミサイル基地をサンディエゴ川沿いに北東へ15キロへ進んだ位置にあるポルタレス洞窟に身を潜め、北の帝国主義者が侵攻すればいつでも迎撃できるよう、西部軍総司令官としての務めを果たした。
Fuente: Parque Nacional La Güira wiki travel
Portales3 - コピー
西部総司令部が置かれた、ポルターレス洞窟。近くに弾頭を搭載した巡航ミサイルが何十基もあった。
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昨日、Cuba Debateを閲覧していたら、キューバ革命の英雄カミーロ・シエンフエゴスさんの写真がいくつか掲載されていた。そう、10月28日はカミーロさんの命日だったんですね。この日は、ソビエト連邦指導者ニキータ・フルシチョフがキューバからのミサイル撤去を発表した日でもあった。カミーロさんの謎の死から3年後のことだった。キューバ危機については別の記事で深く掘り下げたい。
camilo-cienfuegos-ernesto-che-guevara.jpg
カミーロさんとゲバラ。
2人ともコマンダンテとして解放軍を率いて、キューバ革命を勝利へ導いた伝説の革命家。キューバ紙幣で革命戦争に参加した革命家が描かれているのはこのゲバラとカミーロさんだけ。他のマルティやマキシモ・ゴメス、マセオはいずれもスペインからの独立戦争時の英雄だ。日本ではカミーロさんはマイナーかもしれないが、キューバ本国、ラテンアメリカ諸国では根強い人気があるようだ。前の記事で紹介した、世界遺産の番組内でも葉巻工場でさり気無く2人の写真が飾られていた。

カミーロさんとゲバラは戦友であり、兄弟分でもあった。チェがシロ・レドンド第8部隊を率いてサンタ・クララでの戦いに勝利したのは有名だが、もう一人のコマンダンテ、カミーロさんもヤグアハイでの戦いで勝利を収めた。1月2日、カミーロさんはサンタ・クララでゲバラと合流し次のように言ったそうだ。

「そうだ、革命に勝利した後、俺は何をするか決めたぞ!」
「いったい何をするって言うんだい?」
「おまえを檻に入れて、国中、おまえを見せて歩く。それで、おまえを見たいって言うやつから金を取る。俺は金持ちになるぞ!」



チェ・ゲバラ 最後の真実より。
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トレードマークは、なんといってもこのカーボーイハット。

ゲバラはカミーロさんが亡くなられた後に、追悼演説などを行っている。下記のゲバラ研究センターには、その演説の音声から手紙、写真まで掲載されている。
El más brillante de todos los guerrilleros

以下は、ゲバラの有名な論文、「ゲリラ戦争」の冒頭。
Dedicatoria a Camilo del libro "Guerra de Guerrillas".

A Camilo…
カミーロに捧げる

Este trabajo pretende colocarse bajo la advocación de Camilo Cienfuegos, quien debía leerlo y corregirlo pero cuyo destino le ha impedido esa tarea. Todas estas líneas y las que siguen pueden considerarse como un homenaje del Ejército Rebelde a su gran Capitán, al más grande jefe de guerrillas que dio esta revolución, al revolucionario sin tacha y al amigo fraterno.
この論文はカミーロ・シエンフエゴスに一読してもらい、校正を願いたかったのだが、彼の運命がこの事業を阻んだ。この文章を書いたのは、反乱軍の偉大な指揮官、革命が輩出した最も偉大なゲリラ兵の司令官、そして一点の汚点すらない革命家であり、兄弟でもあった彼に対する敬意からだ。

Camilo fue el compañero de cien batallas, el hombre de confianza de Fidel en los momentos difíciles de la guerra y el luchador abnegado que hizo siempre del sacrificio un instrumento para templar su carácter y forjar el de la tropa.
カミーロは百戦錬磨の同志であり、困難な戦時においてフィデルが信頼を置く者であり、常に滅私奉公の姿勢で献身的に尽くす闘士であり、兵を鍛え上げた。

手持ちに日本語訳があれば、参照した上でもっとマシな訳ができたと思いますが、ゲリラ戦争は何人かの方が邦訳されていますね。

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ゲバラやカミーロさんが残した功績は次の世代へ継承される。その媒体は、人から人への伝承、書物、映像などさまざま。ゲバラは長男に、戦友カミーロのようにたくましく育ってほしいという想いから、同じ名前を息子に捧げた。カミーロ・ゲバラさんは、お父さんが残した功績を後世に伝える活動に取り組まれている。
2011.08.17 「着る」ゲバラに「読む」ゲバラ 長男が父の思想本
先ほど上記に掲載した、リンク先、チェ・ゲバラ研究センターもカミーロ・ゲバラさんが立ち上げられたのだ。ゲバラの演説や手紙などは、スペイン語でなら様々なサイトに掲載されている。でも、やっぱり本家本元のデータが一番信用できるし、しっかり整理されている点もいい。このサイトはいわば、ゲバラマニアにとっては宝庫のようなものだ。

革命家が残したモノから、後世に生きる僕たちは何を見出すことが出来るのだろうか?
キューバ革命ゲリラ戦で使われた武器が、カストロさんの回顧録“La victoria estratégica”で紹介されていました。下の写真は射撃訓練の際に撮られたもの。スコープがついているのが確認できますね。
practica-de-tiro-sierra-maestra-580x383.jpg
スコープが付いているは、ゲリラ戦ではとても役に立ち重宝された。カストロら反乱軍が使っていたのはベルギー製のもので、バティスタ軍からの戦利品のようだ。
fusil-fn-fal.jpg
FN FAL
ベルギーの器製造メーカーFN社が開発した自動小
種別 自動小
口径 7.62mm
身長 533mm
使用弾薬 7.62mm NATO弾
装弾数 20発(箱形弾倉)
作動方式 ガス圧、ティルトボルト
全長 1090mm
重量 4000~4450g
発射速度 650発/分
口初速 823m/秒
ametralladora-thompson.jpg
トンプソン・サブマシンガン
“トムソン銃”,“シカゴ・タイプライター”といった多数の通称・愛称を持つ事で知られるアメリカを代表する銃器。シカゴ・タイプライターはバイオ4に出てきたけどあれはトミーガンのことだったンっすねw知らなかった。。wikiでいろいろ解説されてます。
種別 短機関銃
口径 .45口径(約11.43mm)
銃身長 267mm
使用弾薬 .45ACP弾 ほか
装弾数 20発/30発(箱型弾倉)
50発/100発(ドラム弾倉)
作動方式 M1919~M1928A1:
ブリッシュ・ロック方式
M1/M1A1:
シンプル・ブローバック方式
全長 813mm
重量 4740g
発射速度
1,200~400発/分
(各モデルにより異なる)
銃口初速 280m/秒(.45ACP弾)
carabina-m1.jpg
M1カービン
1941年にアメリカで開発された自動小銃。
様々なバリエーションがあり、結構有名な銃だと思う。
種別 セミオートマチックライフル
口径 7.62mm
銃身長 458mm
使用弾薬 7.62mm×33
(.30カービン)
装弾数 15発/30発(箱形弾倉)
作動方式 短ガス・ピストン式
回転ボルト閉鎖
全長 904mm
重量 2490g
発射速度 850~900発/分(M2/M3)
銃口初速 600m/秒
carabina-san-cristobal.jpg
Cristobal (carbine)
fusil-automatico.jpg
ブローニングM1918自動小銃
20世紀を通してアメリカ軍をはじめ、各国の軍隊により使われた、自動小銃と機関銃を兼ねた武器。基本型は.30-06(7.62mm×63)弾を使用し、歩兵分隊の移動に追従できる最も軽い二脚付き機関銃として使用されたらしい。
口径 7.62mm
銃身長 610mm
使用弾薬 .30-06スプリングフィールド(7.62mm×63)
装弾数 20発(着脱式箱型弾倉)
作動方式 ガス圧利用
オープンボルト
全長 1,214mm
重量 7.2~8.8kg
発射速度 300~650発/分
銃口初速 805m/s
有効射程 548m
arma-pistola-beretta.jpg
ベレッタ Modello 1938A
第二次世界大戦にイタリアのベレッタ社で開発された短機関銃。愛称は「モスキート」
口径 9mm
銃身長 315mm
使用弾薬 9mm強装弾
装弾数 10発/20発/30発/40発
全長 947mm
重量 3900g
銃口初速 550m/秒
bazuca-m1.jpg
M1A1バズーカ
口径 60 mm (2.36 in)
使用弾薬 M6ロケット
装弾数 1発
作動方式 電気発火式
全長 1,370mm (54 in)
重量 5.9 kg (13.00 lb)
有効射程 137.16 m (150 yards)
ametralladora-pesada.jpg
ブローニングM1917重機関銃
1901年にアメリカで開発された重機関銃。特徴としては、銃身の冷却機構にコルト・ブローニングM1895の失敗から、マキシム重機関銃と同じ水冷式を採用。
口径 7.62mm
銃身長 610mm
使用弾薬 .30-06スプリングフィールド(7.62mm×63)
装弾数 250発ベルトリンク
作動方式 ショートリコイル・オープンボルト
全長 965mm
重量 47kg
発射速度 600発/分
銃口初速 850m/s
有効射程 5,500m(M1 Ball)3,500m(M2 Ball)4,500m(M2 AP)
ametralladora-liviana-580x472.jpg
ブローニングM1919重機関銃
ブローニングはM1917を改良し空冷化された。冷却システムの水冷方式の欠点である水が無ければ射撃が出来ない点を克服した。シエラ・マエストラのゲリラ戦でなどで水を探すことが難しい戦場では重宝された。銃自体の重量の軽量化も、過酷な環境下での反乱軍の行軍の一助となったといえる。

先週は第5章までCubadebateで公開されたカストロさんの回顧録La victoria estratégicaだが、今回は第1章に掲載されていたアレグリーア・デ・ピーオでの戦いを再現した図をゲバラの回顧録も交えてみていきたい。

1956年12月2日の夜明けにグランマでキューバに上陸(ゲバラは座礁と記録している)後、農民の裏切りによりAlegría de Pío、アレグリーア・デ・ピーオという地域で敵から襲撃を受けたのは何かしら皮肉を感じられる。
alegríaは英語で言うjoy喜び Píoは敬虔なという形容詞だが、遭えて訳すと「信仰の悦び(w?」といったところか
12月5日、上陸地点からオリエンテ州の南岸を歩き続け、空腹と疲労のなか野原で休憩をしている最中に、農村警備隊によるライフルと機関銃の掃射を浴びせられたのだった。
サトウキビ畑を140名の兵士が包囲し、ゲバラを含めたほかの何名かの遠征隊員も負傷した。このときのことをゲバラは日記に書いているのだが、この襲撃はチェが兵士として覚醒する契機でもあった
La sorpresa había sido demasiado grande, las balas demasiado nutridas. Almeida volvió a hacerse cargo de su grupo, en ese momento un compañero dejó una caja de balas casi a mis pies, se lo indiqué y el hombre me contestó con cara que recuerdo perfectamente, por la angustia que reflejaba, algo así como
襲撃はあまりにも大がかりだったし、銃弾は雨あられと降り注いでいた。アルメイダはふたたび彼のグループの指揮をとり始めた。その時一人の同志が私の足元に弾薬ケースを落としたので、そのことを教えると、彼は表情で私に応えた。その苦しい表情から、その顔がはっきりと思い出される。

«no es hora para cajas de balas», e inmediatamente siguió el camino del cañaveral (después murió asesinado por uno de los esbirros de Batista).
「弾薬ケースなんか拾っている暇はないさ」と言っている様でもあった。そしてすぐにサトウキビ畑の道に飛び込んでしまった。(彼はのちバティスタの捕吏に殺された。)

che06.jpg
Quizá ésa fue la primera vez que tuve planteado prácticamente ante mí el dilema de mi dedicación a la medicina oa mi deber de soldado revolucionario.
医学に身を捧げるか、それとも革命兵士としての務めをまっとうすべきか、
多分その時初めて僕はこのジレンマに苦しんだ。

Tenía delante una mochila de medicamentos y una caja de balas, las dos eran mucho peso para transportarlas juntas; tomé la caja de balas, dejando la mochila para cruzar el claro que me separaba de las cañas.
僕の前に置かれた背嚢には、たくさんの薬と弾薬ケースが詰まっている。
どちらもすごく重くて、両方入れていくことはできない。

僕は弾薬ケースを取り出し、あとはそこへ置いていった。

Pasajes de la guerra revolucionaria Alegría de Pío より

遠征隊員のメンバーはそれぞれ散り散りに敵の砲火から逃げ出した。
以下の図のように数名ずつの3つのグループに別れ、モンゴ・ペレス農場を目指した。
10la-victoria-estrategica-final3-580x403
以下は上の図の記号の解説
11a-victoria-estrategica-final2

1956年12月5日~20日まで、どこを彷徨ったかが描かれている
ヨット・グランマ号の遠征隊員らの走破ルート、
フィデル(赤)、ラウル(緑)とアルメイダ(茶色)のグループ
飛行機の記号は上から順に、
Hidro avión Catalina 水上飛行機カタリーナ
Bombardero B-26 爆撃機
avioneta小型飛行機 Beaver L-20
Fragataフリゲート艦F-1
Guarda Costa 海岸警備(船)GC-106

上記のバティスタ側の兵器はミリタリーに詳しい方は見れば分かると思うが、アメリカから支給されたんもの。
対空砲も当然ない遠征隊員は逃げるしかなかっただろうw

コマンダンテ・フィデル・カストロは農村出身のウニベルソ・サンチェスと医師のファウスティノ・ペレスと共に逃げた。武器はカストロのスナイパーライフルとサンチェスのライフルのみ。フィデルらのグループがモンゴ・ペレス農場に到着したのは12月16日、2日後には弟のラウルのグループとも合流した。兄貴のフィデルからいくつライフルを持っているかと聞かれてラウルは5つあると答える。するととフィデルは「こっちは2つだ。全部で7つになった。我々は戦いに勝ったぞ!」と歓喜の声をあげたそうだw。。。皆、唖然としたに違いない
ゲバラやカミーロ・シエンフエゴスら8名と合流したのは12月21日で上陸メンバーの82人中、16名が生き残った。この壊滅的な部隊の状況にも関わらず、カストロはこの革命には勝算があると判断したのだった。バティスタ側12000人のプロの軍人、そしてそのバックには軍産複合体のチート国家アメリカが支援していたにもかかわらず、カストロは揺るぎない自信と指導力をもって部下を鼓舞し指導力を発揮した。

La victoria estratégicaのAlegría de Píoの図などでキューバ上陸後の遠征隊員の戦いを見てきたが、何故、キューバ革命は成功したのか?カストロのカリスマ性だけでは説明がつかないだろう。
ここで私見を交えてその理由を3つ挙げるとするなら
一つ目は、彼らが「祖国か、死か」の気構えで戦っていた点だろう。よくカストロは演説の最後にPatria o Muerteという台詞で締めくくるが、死を覚悟した人間はそれこそ、単に命令に従っている軍隊の兵士に比べれば気構えが違うだろう。
2つ目は、この回顧録のテーマにもなっている戦略的勝利を勝ち取るための術を、カストロが心得ていた点が挙げられる。1例を挙げるなら、捕虜に対する寛大な扱いだが、この措置により体制側の兵士の心をつかんでいった。これはモンカダ兵営襲撃の反省から考えられた作戦だった。
3つ目は、 運 だろう。運も才能のうちとは言われるが、歴史の女神がカストロに味方したからこそ、キューバ革命が成功した。数多くの窮地を乗り越えることが出来たのも、この運という要素を抜きには語ることは出来ない。
以上大雑把に分析してみたが、実際に何が戦略的勝利の勝因だったかはカストロさんの回顧録が物語っていることだろう。まだ第5章までしか公開されていないので、続きを読むのだ楽しみだ。
bombardero.jpg

当時の爆撃機のB-26は第5章で紹介されていた
Bombardero Douglas B-26B/C Invader.


今週はグランマでカストロさんの回顧録が第4章まで公開された。ざっと読んでみたがかなり興味深いし、どのように作戦が進められたかを図を使って説明されている点が良かった。今日は第一章を読んでいこうと思う。
“La victoria estratégica”: La situación general del país y de la lucha revolucionaria en mayo de 1958 (Capítulo 1)スペイン語だけどCubadebateで全文と資料が公開されています。
1fidel-en-la-sierra-maestra-1-580x383 (1)
この写真はシエラ・マエストラ山脈でのカストロさん。バティスタの圧政からキューバを解放するためにメキシコから上陸した7月26日運動の参加者は、キューバ東部のこの山脈を拠点にゲリラ戦をしていた。第1章の冒頭では当時のキューバの概況などが語られているが、バティスタの体制に逆らって活動していたのはカストロたちだけではなかった。
カストロがシエラ(山)で戦っていたのに対し、フランク・パイースはリャノ(平野)でストライキなどを通じてバティスタの体制を崩そうとしていた。その他にも数多くの活動家達が当時のキューバにはおり、革命の気運が高まっていた。しかし、数多くの反逆の試みもバティスタの軍隊によって玉砕され、カストロらの武装闘争による革命の必要性が認識されるようになった。そこで1957年3月16日、フランク・パイースが、サンティアゴ・デ・クーバとマンサニーヨから青年、農村労働者、農民よりなるゲリラ隊参加希望者をシエラ・マエストラに送ってよこした。5月28日、カストロら約80人のゲリラがエル・ウベロの兵営を襲撃して勝利を収めた。この勝利はシエラにおけるゲリラ側の軍事力の成長ぶりを示していた。
5fidel-y-el-che-en-la-sierra-maestra-580x425
この写真はシエラ・マエストラでのカストロとチェ・ゲバラ
チェ・ゲバラは軍医としてカストロの反乱軍に参加していたのだが、兵士としての才能をゲリラ戦で発揮していく。
このことは前にアップしたカストロの演説で詳しく語られているのでここで紹介しておこう。

この動画の詳しい解説はまた今度書くことにして、カストロの回顧録の第1章の資料を観ていきたい
危険を意に介さず、仲間を鼓舞し導く能力にたけ、チェスの名手ということもあってか(w?)戦略のセンスも長けていた。こうした資質を、いち早く認めたのがカストロは1957年7月22日、チェをコマンダンテに指名した。これは反乱軍での最高位であり、一般には少佐に当たる。当時はゲリラ軍では、カストロ以外、コマンダンテはいなかった。
A mediados de julio de 1957, después del sangriento Combate de Uvero, donde ocupamos gran número de armas, decidimos crear la Columna 4, bajo el mando de Ernesto Guevara. El Che se había destacado en ese rudo combate. Era capitán médico de los expedicionarios. Con una pequeña escolta cuidó y atendió a nuestros heridos. Fue el primer oficial ascendido a Comandante.


7月30日、フランク・パイースがサンティアゴ・デ・クーバで捕らえられ、殺害されるという、運動にとって大きな打撃となる事件が起こった。カストロはそのとき、サンティアゴ・デ・クーバの7月26日運動指導者フランク・パイースに宛てた手紙を、弟ラウルに後述筆記させていた。パイースの弟が、バティスタ警察の手にかかって殺されたので、お悔やみの手紙を出した。
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これはその時の手紙。パイースの弟ジョシュアの死の後にラウル・カストロによって書かれた。
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この手紙でチェ・ゲバラがコマンダンテとして記載されているらしい(そうCubadebateで解説されているが僕は筆記体が読み取れなかったのでどの部分か分かる人はコメントで教えて欲しい)
この時の喜びをゲバラは次のように表している
La dosis de vanidad que todos tenemos dentro hizo que me sintiera el hombre más orgulloso de la Tierra ese día.
僕たちには誰だって、ちょっとした虚栄心が隠れているものだ。
当時僕は、世界で一番プライドの高い男だと思っていた。

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この作戦図はチェ・ゲバラが活躍したエル・ウベロの戦い(1957年5月28日)
El Combate de Uvero, 28 de mayo de 1957 以下はこの図の記号の解説
7la-victoria-estrategica-final6
【Leyenda 説明文】
7月26日運動の旗(赤黒):Comandante Fidel Castro コマンダンテ・フィデル・カストロ
ラウル・カストロ・ルス隊
②ファン・アルメイダ隊
カミーロ・シエンフェゴス
④エフィヘニオ・アメイヘイラス分隊
⑤エルネスト・ゲバラ分隊
⑥クレセンシオ・ペレス隊
⑦ホルヘ・ソティス隊
⑧ギジェルモ・ガルシア分隊
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