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明日は9月11日ということもあってか、昨夜からチリ・クーデターを扱った小説を読んでいた。僕らの世代だと、9月11日といえば、アメリカの11 September 2001を想起する。一方、もっと上の世代の方はチリの11 de Septiembre 1973を想い起こされるのだろう。図書館で借りてきた大石直紀さんの「サンチャゴに降る雨」は2000年に出版された小説だが、貸し出し記録を見てみると、書庫に埋もれるまで毎月貸し出されていた。

サンチャゴに降る雨サンチャゴに降る雨
(2000/11)
大石 直紀

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冒頭では、架空の登場人物である日本人の安井豊とビオレタ・アレスが、チリの首都サンティアゴのモネダ宮殿に向けて車を走らせている。そこから28年遡って、1973年9月11日のラジオ放送から物語の幕は開ける。「サンチャゴに雨が降っています」

この小説はフィクションと史実を巧みに交錯させ、また日本の政治家の汚職問題を扱っている点や、チリ女性の力強さを描いている点において、以前読んだ五木寛之さんの 「戒厳令の夜」と重なる。登場する政治家は架空の人物だが、新自由主義者の中曽根元首相などチリの独裁者ピノチェトを支持していた日本の政治家は少なくない。五木さんの小説は、73年のチリ・クーデターで物語りは終結するが、大石さんのこの著作では11 de Septiembre 1973からストーリーが展開される。アウグスト・ピノチェトやリカルド・ラゴスら実在の人物と、架空の登場人物が交錯するストーリーを通じて、チリ・クーデーターやその後の民主化運動を理解できる一助になり得る小説でもあると思う。

少しネタばれになるが、この小説では2001年9月に、南米の利権を貪る日本の右翼政治家を後ろ盾に力をつけた将校が、クーデター未遂を起こす。冷戦構造が崩れ、軍事独裁者の存在意義が失われた21世紀の幕開け。チリでのクーデターを通じて左傾化する南米を再び軍事政権時代に逆行させようと企てる筋書きだ。この小説は2000年に出版され、著者は未来のことについて小説のストーリーを書かれた。もっともこれはフィクションに過ぎずクーデター未遂事件など2001年9月のチリで起こらなかった。しかし代わりに、世界情勢を大きく変えた俗に言う11 Septemberがアメリカのニューヨークで起きてしまった。その後、日本では新自由主義者の小泉元首相が力で世界を支配するブッシュ大統領のイラク侵攻を支持、21世紀はテロとの闘いの世紀となった。

20世紀はイデオロギーが対立した世紀。1973年のチリ・クーデターから何万人もの規模のチリ人がイデオロギー闘争の犠牲となった。今日の21世紀は昔のようにアカ狩りはなくなったにせよ、また新たなキナ臭い闘争が起こっている。この小説は2つの9・11の狭間が描かれている。

表紙に書かれているスペイン語の副題La lluvia que moja Santiagoは、直訳すれば「サンティアゴを湿らせる雨」といったところだろうか。軍事独裁の時代は終焉を迎えたチリ。73年9月11日にサンティアゴ・デ・チレで降った雨は、未だにチリ国民の記憶の中に浸み込んでいる。
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昨日紹介したリティン監督のドキュメンタリーの製作過程を記した、ガルシア・マルケスのルポタージュが面白い。
岩波書店の編集部のおすすめのコラムで紹介されています。
特に印象に残ったのが第3章の残った人々も同じだった- También los que se quedaron son exiliadosのひとコマ。
リティン監督が夢中になってサンティアゴで撮影を続けている中で、鐘が鳴り響く....以下は後藤さんの訳より引用

戒厳令下チリ潜入記―ある映画監督の冒険 (岩波新書 黄版 359)

los carillones de la Catedral soltaron al aire las notas de la canción más conmovedora de Violeta Parra: Gracias a la Vida. Era más de lo que podía soportar. Pensé en Violeta, pensé en sus hambres y sus noches sin techo de París,
大聖堂の鐘がビオレータ・パラの「グラシャス・ア・ラ・ビーダ」というあのもっとも感動的な歌の調べを空に響かせ始めた。とても耐えられなかった。私はビオレータのことを思った。かの女の飢えと、泊まる家もないパリの夜のことを思った。
(...)
Hasta los carabineros la escuchaban con devoción sin la menor idea de quién era ella, ni qué pensaba, ni por qué cantaba en vez de llorar, ni cuánto los hubiera detestado a ellos si hubiera estado allí padeciendo el milagro de aquel otoño espléndido.
国家警備隊員までがじっと歌に耳を傾けている。ビオレータとはどのような人物であり、何を考えていたのか、なぜ泣かないで歌を歌ったのか、もしここにいて、このすばらしい秋の、この奇跡を目にしたら、どんなに彼らを憎んだことか、などということにはまったく思い及ばずに....。


↓この動画はビオレータさんのGracias a la Vida。心に響く歌声ですが、悲しそうでもあります....


先日、このこのブログのコメントでdesparadaさんから、ビオレータのGracias a la Vidaを紹介してもらった。Gracias a la Vidaはさまざまな歌手によって歌われ続けてきていて、最近では震災復興の際に歌われた。
歌詞だけを聴けば失恋の歌かなぁって初めて聴いたときに思ったんですが、ビオレータさ肉声を↑の動画で聴くと歌われた背景を想い起こさせられる。。。。9・11以降、亡命して祖国を離れていたリティン監督が、昔のことを想い起こさせられたのも無理もないことだろう。

過去の思い出を取り戻したくなって、リティン監督は昔、昼食を共にした仲間が通う食堂に向かう。しかし、ウルグアイのビジネスマンに変装したリティン監督は、昔の仲間に気づいてもらえることはなかった。。。

Sólo en aquel momento tuve conciencia de cuán largos y devastadores eran los años del exilio. Y no sólo para los que nos fuimos, como lo creía hasta entonces,
sino también para ellos: los que se quedaron.
私はこの時、亡命の日々がいかに長く、また破壊的であったかを思い知らされた。それは私たち亡命者ばかりではなく、チリにとどまった人々にとっても同じだったのである。


9・11からの10年後、戒厳令下のチリで撮影されたドキュメンタリー。リティン監督を始め、多くのチリの人々が失ったものは計り知れない。それだけに、リティン監督が昨日のドキュメンタリー制作に情熱を注いでいた気持ちが伝わってくる。

もうひとつの9・11が起こり、チリの9.11は次第に忘れ去られていきそうだ。それでもビオレータさんのGracias a la Vidaは力強く歌われ続けていく。
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