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カストロさんは21日、日本のNGO「ピースボート」の航海に参加している600人以上との集会に出席した。
Fidel con los integrantes del Crucero por la Paz: “Nunca en la historia de la Humanidad hubo un momento tan peligroso como este”
日本のNGO団体Peace Boatは偶然か意図してか、国際平和デーの9月21日にハバナ港に入港し、キューバの国会議事堂にあたる「ハバナ会議宮殿」に招かれた。2時間半にわたる交流会が行われ、カストロさんは日本のNGOスタッフや被爆者の方と国際平和の実現や核兵器廃絶への思いを語られた。
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世界平和の象徴である千羽鶴。カストロさんは以前来日された際に、原爆ドームに訪れられているので、広島市への原子爆弾投下により被爆し、後に白血病で亡くなられた佐々木禎子さんが、生前に病気の恢復を祈って折り鶴を折り続けたというエピソードをご存知だろう。
人類が核戦争の一歩手前までいった”キューバ危機”の当事者であるカストロさんと、唯一の被爆国である日本のNGO、被爆者の方が核の脅威について議論することの持つ意味は大きい。カストロさんは、このブログでも紹介してきたが、先月のヒロシマに原爆が投下された日から核の脅威について何回も演説したり、ジャーナリストと議論したりしてこられた。一方、ピースボートもカストロさんから、キューバ市民の約20年にわたる交流の軌跡を高く評価されている。

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カストロさんは広島の原爆で被爆したブラジル・サンパウロ在住の渡辺淳子さんが、爆心地から18キロの場所で「黒い雨」を浴びた被爆体験を話したのに対し「黒い雨が来るまでにどのぐらいの時間があったのか」など質問して当時のヒロシマの悲惨さ、核兵器がもたらす悲劇を学び取ろうと努められた。
キューバ危機で、一歩間違えていたら黒い雨がカリブ海でも降っていたかもしれない。。。。いや世界中で降っていたかもしれないのだ
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日本とキューバは地政学的にもものすごく離れていて、接点がないように思える。イデオロギーでも資本主義の日本と社会主義のキューバの間には当然溝があり、キューバの情報はアメリカのメディアを通じて歪められた情報ばかりが日本に伝えられているのが現状だ。こないだキューバの社会主義モデルは機能しないとカストロさんが言ったと間違った情報を伝えて有頂天になっているメディアがそのことを如実に示している。全く馬鹿げた話だ。
このようにアンクルサムが築いた国際秩序に虐げられている、経済封鎖されているキューバに来航したピースボートの一行には感心させられる。しかし、核兵器廃絶というような種類の問題はイデオロギーや地政学を越えて議論されるべきなのだ。被爆国である日本と、キューバ危機の舞台となったキューバは、核廃絶を共に団結して訴えることが出来るのだ!世界平和デーに開催されたこの会議では、日本とキューバの国旗が並んで掲げられた。

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(追記)日本人が知るべきニュースですが思いのほか、日本で報道されていないニュースなので、Cubadebateの紹介記事の出だしだけでも訳しておきます。
※自己紹介でも述べてますが、僕のスペイン語力はプロの翻訳家の足元にも及ばないので間違っている箇所も多くあると思います。ただ、なるべく誤訳がないようには努めました。
Fidel con los integrantes del Crucero por la Paz: “Nunca en la historia de la Humanidad hubo un momento tan peligroso como este”
フィデルとピースボートの隊員;
カストロ「今日ほど、人類が危機に瀕した時代は歴史上に例がない」(意訳です
El encuentro fue bien temprano en la mañana para no afectar la apretada agenda en Cuba de los integrantes del Crucero por la Paz, acabado de llegar al amanecer de este 21 de septiembre. Por coincidencia, el mundo estaba celebrando el Día Internacional de la Paz. Fidel llegó puntual como siempre y saludó a la directiva del crucero, a Junko Watanabe, una sobreviviente de la tragedia nuclear de Hiroshima, y a Kenia Serrano, la presidenta del ICAP. Después entró a la Sala Plenaria del Palacio de Convenciones donde lo esperaban más de 600 japoneses de diversas edades que forman parte de la expedición pacifista.
この部分はさっき書いた記事とダブるので割愛)
以下カストロさんの言葉
“Quiero darle las gracias por el honor que significa este encuentro”
-fueron las primeras palabras del líder de la Revolución cubana. “Me alegro de interactuar con ustedes por la importancia del momento que estamos viviendo y además por un sentimiento de gratitud, pues conozco la solidaridad de ustedes, las dificultades que han enfrentado, la lucha contra el bloqueo, los puertos donde pueden ir y donde no.”
「このような重大な時期にお会いできて光栄です」キューバ革命政府を代表してカストロさんはこのように切り出した。
「このような重大な時期にあなた方と交流を深められることに対し喜ばしく思います。また、経済封鎖されている港に、危険を冒してまで訪問されたことに対し、我々がこの困難な境遇で連帯意識を確かめられたことに感謝の意を抱きます。」
Recordó las 14 veces que el crucero ha venido a Cuba y evocó la consigna que acompaña esta aventura marítima, por su especialísimo valor:
“Aprender de las guerras pasadas para construir un futuro de paz”
「我々は平和な未来を築くために、過去の戦争から学ばなければならない」
“Es una frase que tendrá significado siempre, pero en este momento lo tiene más que nunca. Nunca en la historia de la humanidad hubo un momento tan peligroso como este”.
「このフレーズが持つ意味は常に大きいのですが、今日ではかつてないほど響きます。今日ほど、人類が危機に瀕した時代は歴史上に例がないからです。」

Repasó los acontecimientos de hace 65 años en las ciudades japonesas de Hiroshima y Nagasaki.
日本の長崎と広島の市街地でのあの出来事から65年。
En ese entonces “estaba por Santiago de Cuba cuando llegó la noticia. Nadie tenía idea de la existencia de un arma como esa [...]. A pesar del tiempo transcurrido, sigue conmoviendo a la opinión pública internacional. No creo que haya ocurrido algo más expresivo de lo que es la guerra”.
「あの当時、サンティアゴ・デ・クーバでもニュースが報じられたのを覚えています。しかし誰もあの兵器に対して見解を持つ人はいなかった。。。。」

しかし今日では国際世論は核廃絶の動きが盛んだ。カストロさんや被爆者の声が世界中に届けばいいのだが。
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