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今から66年前の1945年8月6日午前8時15分、一つの原子爆弾が広島に投下され、広島市民の命と日常が奪われた。被爆者の方の無念さは、筆舌に尽くし難い。

アレイダ・ゲバラさんの公演を収録した『父ゲバラとともに、勝利の日まで』で、ホセ・マルティの詩を、広島市立大学で詠われた一節が掲載されている。以下は第7話から。

 

広島の人たちのそばにいて、とても印象深い思いがしました。ホセ・マルティの詩の一つを現実にしたものを見たように思えたからです。彼は詩の中で言いました。
「白い薔薇を誠実な友のために育てよう」
しかし、ホセ・マルティはこうも言ったのです。
「ぼくのこころを引き裂く残酷な人、ぼくの敵にも白い薔薇をあげよう」
 この詩が本当だと思えるまれな機会を私は得たのです。広島の人たちは、「赦す」ということができる人たちなのだ、と思えたからです。
 でも注意して下さい。忘れてはいけないことがあります。広島や長崎の教訓を、本当の究極の平和のために闘い続けていくための力にすべきだということ、それがとても大事です。終わりにあたって、私はキューバ人になりきって歌います。



父ゲバラとともに、勝利の日まで―アレイダ・ゲバラの2週間父ゲバラとともに、勝利の日まで―アレイダ・ゲバラの2週間
(2008/12/29)
星野弥生

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La Rosa Blanca
白いバラ

Cultivo una rosa blanca,
En julio como en enero,
Para el amigo sincero
Que me da su mano franca.
ぼくは白い薔薇を育てる。
暑い七月にも寒い一月にも。
私に手をさしのべる
親切な友だちのために。

Y para el cruel que me arranca
El corazón con que vivo,
Cardo ni ortiga' cultivo:
Cultivo la rosa blanca.
たとえぼくのこころを
引き裂く残酷な人にも、
その白い薔薇の花をあげよう。
あざみや青虫をあげることはないでしょう。


詩の訳は、『父ゲバラとともに、勝利の日まで』星野弥生∥編著・訳より

Poemas de José Martí


8月は、世界中の人が原爆について考える月。去年、ブログを書き出した頃に、ゲバラが来日した際に広島へ来たことについて書いた。
2010.08.09 ゲバラ「日本国民、ヒロシマの市民はなぜアメリカの原爆投下責任を問わないのだ」

今から見直すと、若僧が随分生意気なことを長々と書き綴っているなと感じ、ちょっと呆れんばかりの想いですが。。w自身の感情丸出しですね。勿論、この文章の筆者は他ならぬ僕なんですが。。

アレイダさんは、父のコマンダンテ・チェ・ゲバラが疑問に感じた答えを、広島市民の方と接すことを通じて見出された。チェ・ゲバラは、恐らく憤りの念も抱きつつ次のように漏らした。
「君たちは、こんなひどい目にあってなぜ腹を立てないのか、アメリカはまったく酷い事をするな。。
日本国民、ヒロシマの市民はなぜアメリカの原爆投下責任を問わないのだ」と

敗戦国日本が、冷戦構造下でアメリカの原爆責任を追及できないことは、チェ・ゲバラ自身も承知のことだろう。チェは、なぜ広島の人たちは怒らないのか?と言いたかったのではないかと僕は思う。

原爆に限らず、戦争というのはヒト対ヒトとの闘いである以上、憎しみを生み出す。同じ太平洋戦争で一例を出すなら、かつて大日本帝国が侵略したアジア諸国と現在の日本政府は、歴史観において未だに問題を引きずっている。憎しみは、世代を超えて語り継がれている。

一方、被爆者の方は、原爆を落としたアメリカ人に対して憎しみの念を抱かれているのだろうか?
被爆者の方は多くの詩を残されている。そこからは、理不尽な運命に対する怒りも感じられるが、それ以上に平和に対する願いが伝わってくる。
僕たちの世代へは、アメリカに対する憎しみや恨みではなく、平和に対する希求が語り継がれているのだ。
それは、アレイダさんが指摘されるように「赦す」というステップが踏まれたからだと僕は感じる。広島を訪れた人たちから、原爆落下中心地碑への献花される。被爆者に対してだけでなく、原爆を投下したかつての敵国アメリカに対しても、その想いは伝わっているのだろうか?

核兵器を廃絶するということは、生易しいことではない。核兵器は在るべきではないという理想がある一方、日本が核の傘下に入らなければならないという現実とどのように向き合っていくか。一市民に出来ることは限られているが、この問題について、現実から目を背けず議論を重ねることが大事なことではないかと思う。このことは、目下、問題になっている原子力発電所の問題についても当てはまるのではないか。

原発事故によって、福島の数多くの人たちは日常生活を奪われ、責任ある東京電力は責任の矢面に立たされている。しかし、一度も傷害事件などは起きていない。それは、私たち日本人が「赦す」ととができる国民性を持っているからではないかと思う。憎しみを乗り越え、「赦す」ことから、事故の教訓を次の世代へ生かすことが出来れば。。
現実はそんなに甘くはないかもしれないけど、マルティの詩からそのようなことを感じさせられた。




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今日は、被災地現地報告・災害ボランティア説明会に参加してきました。
僕の住んでいる地域からボランティアバスが運行しているのを知って、興味を持ったからです。

社会福祉協議会の職員の方からボランティアの心得を教えて頂きました。簡単にまとめるとポイントは次の2点。
自己完結
被災者主体


現地では、物資がまだ不足しているので、例えば泥だしをしようと思っても、スコップすらなかったりする。食料から寝袋まですべて自前で調達しなければなりませんね。やはり自衛隊が重宝されるのが納得できます。

自己完結は分かっていましたが、被災者が主体であるということを念頭に入れて活動することも大事ですね。被災地に貢献したいという、熱い想いを持つことも僕は大事なことだと思いますが、熱くなりすぎて被災者の心をないがしろにしてはいけませんね。ボランティアは3日~1週間ぐらいで帰るわけですが、やはり主役は被災地に残る被災者の方です。自分たちはアウトサイダーであるということも、頭の片隅に入れておく必要があります。

そうはいっても、僕は少しでも被災者の方に対して共感し、当事者意識を持つことも重要だと思います。せめて被災地にいるときだけでもそのような気持ちを持ってボランティアに取り組みたいものです。キューバのホセ・マルティの有名な言葉にもあるように。
"Todo hombre verdadero debe sentir en su mejilla el golpe dado a cualquier mejilla de otro hombre."
真摯な人間は、他の人が頬をぶたれたら、
自身の痛みのように感じなければならない
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