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今年のノーベル賞は興味深いテーマが多かった。日本人に与えられた化学賞、ラテンアメリカの作家であるリョサさんが文学賞を受賞したことは前の記事で書いた。
しかし一番、注目されているのは平和賞だろう。この受賞が決定されたのを知り、近い将来、東アジアで何か大きな変革が起きることは間違いないと思わされた。それが1年後か、10年後か定かではないが。昨日、久々に飲みに行って悪酔いしたせいか、先の極東情勢を考えるとかなり気分が悪くなってくる。
それにしてもノーベル平和賞はここまで政治色が強い賞だったのか、と驚かされた。

そんなことを考えながら、今日の朝日新聞の天声人語を何気なく読んでいたのだが、中々面白いことが書いてあった。
【獄につながれてノーベル平和賞を受けたケースは、先例があり、1935年のカール・フォン・オシエツキーさんが当てはまる。このドイツのジャーナリストで平和運動家の全体主義に抗する言論人の受賞はヒトラーを激怒させた。その著作はナチスの脅威を突いて焚書に遭っていた。だがノルウェーのノーベル賞委員会は授与を勇断する。】
狂気の政治体制に対する平和運動を行った点でカール・フォン・オシエツキーさんと劉暁波が重なる。
両者が受賞した時代背景も少し類似点が見られる。例えば、オリンピックが開催された時期だが、オシエンツキーさんが受賞してから1年後にベルリンオリンピックが開催され、今年の劉さんの受賞の2年前に北京オリンピックが開催されている。オリンピックというのは必ずしもそうではないが、国内の経済が急速に発展し、国力が大きくなっていく時期に開催されるケースが多い。日本の東京オリンピックもそうだった。
また、ナチスドイツがドイツに相応しくない書物を焚書していたように中国もメディアに対して過度の検閲を行っている。今は書物だけでなくネットを始めとしたデジタルの媒体によって世界中に情報を発信できる時代なので、ナチスの時代のように上手くはいかないとは思うが。

ナチスは民主的なプロセスを経て選出された政党だ。一方で、中華人民共和国は一党独裁という点では同じだが、民主主義という観点から見ればナチスよりもたちが悪い。ナチスを擁護するつもりはないが、あの当時のナチスは公共事業により国内の失業者をなくし、国民のために尽くしていた(一方で虐げられた人たちがいたのだが。

今の中国は腐敗し、腐るところまで腐り尽くしている。こんな腐った国に住んでいる国民には同情するが、中国が民主化することに対しては、果たしてそれが正解なのか疑問を感じる。
受賞理由はあくまで中国の基本的人権確立のために長期にわたる非暴力の闘いを継続したことだ。だが、この平和賞は明らかに政治色が強く、人民日報系の環球時報が「ノーベル平和賞は西側の利益の政治的な道具になった。平和賞を利用して中国社会を裂こうとしている」との指摘も的を得ている。

民主化を仮に達成したとして、それが中国国内の平和に繋がるのだろうか?国共内戦では数多くの人命が失われた。あの悲惨な流血を再び中国内で流させるのか。
流血なしに民主化を達成することは不可能だろう。13億の国民を統制するなど普通に考えて不可能だ。

天声人語では魯迅について触れられていた点も面白い。
【作家で詩人でもある劉氏の書くものには、どこか魯迅を思わせる志と、骨の太さがあるとの評も聞こえてくる。
その魯迅は、希望とは地上の道のようなものと述べている
「もともと地上には道はない。歩く人が多くなればそれが道になるのだ」と。
中国民衆と政府が歩みゆく道を、世界が凝視している。 】
ノーベル平和賞は狂気の国、中国へメスを入れたわけだが、このことは中国の民主化の契機となるだろう。
人々が歩む道を先導する劉さんが受賞した背景には何があるのか?
いろいろと考えさせられるが、同時に過去の先例と照らし合わせ何か不気味な臭いがする平和賞だ。

他の方もブログで結構書かれてますね。
劉さんの著作に『天安門事件から「08憲章」へ 中国民主化のための闘いと希望』があるのでまた読んでみようと思う。


R トレックのブログ ノーベル平和賞



【PS】
世界各国の首脳の見解については人生は雨の日ばかりじゃない  Ver.2で紹介されていて参考になりました。

特に興味深かったのが日本の首相の発言「普遍的価値である人権について、ノルウェーのノーベル賞委員会がそういう評価をし、メッセージを込めて賞を出した。そのことをしっかりと受け止めておきたい」
もぉ何て言えばいいのやら。。。菅首相、君の更迭も受け止めるしかないぞw
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