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先月のアレイダ・ゲバラさんの公演で同席した人に紹介して頂いた本を読んでみました。バイクとゲバラ、そしてラテンアメリカ好きなら読むっきゃないっすね!

遥かなるゲバラの大地遥かなるゲバラの大地
(2006/06/29)
戸井 十月

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前から気になっていた本ではあったけど、まだ手に取ったことがなかった戸井さんの本。

ツーリングの楽しみの一つは、旅先のトラブルだったりする。国内のツーリングだったらトラブルといっても知れているけど、南米一周となると話は違ってくる。戸井さんが走破されたルートは、パタゴニアの氷原から、アマゾンの密林、アンデス。ツーリング計画が壮大なだけに、厄介事も至難極る事だろう。読者は冒頭の、走破ルート地図を見た瞬間そう感じるはずだ。この戸井さんの著書は、そのような読者の期待を裏切らない。

この著書のもう一つの魅力は、南米のマイナーな側面も垣間見ることが出来ることだろうか。ギニア、スリナム、ガイアナなんて国を走行ルートに入れられているとは、なんともマニアックだ。普通の観光客があまり行かなそうなところを楽しめるのも、ツーリングの醍醐味。南米大陸というミステリー溢れる大陸でのバイクの旅先で、書き残されている戸井さんの記述には興味をそそられた。といっても、ぞっとするような側面も描かれている。人の肉に卵を植え付けるアマゾンの肉蝿などの存在には正直ゾッとさせられたwでも南米ではこんな蝿ごとき、まだまだ序の口なのだろう。

僕もいつか南米大陸をバイクで旅したいなぁと感じさせられつつも、やっぱり無理だろうなwと思う。旅の費用がない以前に、僕には戸井さんのような度量がない。それでも、人間味溢れるラテン圏の大陸を旅することは憧れる。僕はせいぜいイベリア半島を一周するぐらいが相場だろうか。

北か南か、アメリカ大陸をバイクでツーリングするとしたら、大抵の人が北を選ぶのだろうか。南米は、得体の知れない生物が生息し、疫病、窃盗、悪路など厄介ごとが多々待ち受けている。それに対して、北米は先進国だし滅多なことはないだろう。でも、僕は同じアメリカ大陸をツーリングするなら南米を旅してみたい。あくまで憧れではあるが。
戸井さんの、この著書では人間味溢れる笑みを浮かべた現地の人々の写真が掲載されている。そう、旅の最大魅力は戸井さんも書かれていることだけど、人との出会いなんですね。北米のドライな気質の国ではなく、そのような大陸をバイクで走ってみたいものだ。

カストロさん、ゲバラらが中心となって起こしたキューバ革命の魅力も、この人間味溢れる点にあるのではないかと思う。カストロさんもよく、キューバ革命の特徴はヒューマニズムだと言われている。そして革命後のキューバはラテンアメリカの中でも一番ヒューマニズムを体現した国ではないだろうか。でも、元をただせば、彼らラテン圏の住民は経済力より人間味を大切にする気質なのだろう。戸井さんの旅のレポを読んでいるとそんなことを感じさせられた。

心の奥底ではヒューマニズムを大切にしつつも、経済発展も同時に果たしていかなければならないラテンアメリカ。戸井さんの最終目的地、ゲバラの死地バジェ・グランデもいまは観光地として栄えている。ゲバラのことをより多くの人が興味を持って、現地を訪れることは良いことではあると思うけど、一方で静かな村をそっとしてあげた方がいいのではないかとも感じる。ゲバラが眠る大地は今後どのように変遷していくのだろうか。
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チェ・ゲバラが、国際政治の場における壇上で初めて演説を行ったのは、今から50年前の1961年8月8日。バイーア・デ・コチーノス(俗にピッグス湾)事件から、3ヵ月半後、武力による侵攻で敗北を喫したケネディ大統領は、ラテンアメリカ諸国からキューバを経済的に疎外するとう策を進めていた。それがいわゆる「進歩のための同盟」であった。ゲバラはこの同盟の偽善性を暴くという使命をもとに、ウルグアイのプンタ・デル・エステで開催された、米州機構経済社会理事会の壇上に起った。
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以下の動画は、この会議での演説の最期の箇所。映像があまり鮮明でなく、音声も少し雑音が入るが、貴重な資料だ。

以下の訳文の3パラグラフ目のSe trataba de una agresión contra Cubaから動画に対応しています。

Discurso en Punta del Este, Uruguay, 8 de agosto de 1961
ウルグアイ、プンタ・デル・エステでの演説、1961年8月8日

Nosotros señores Delegados, llamamos a la Alianza para el Progreso, la alianza para nuestro progreso, la alianza pacífica para el progreso de todos. No nos oponemos a que nos dejen de lado en la repartición de los créditos, pero sí nos oponemos a que se nos deje de lado en la intervención en la vida cultural y espiritual de nuestros pueblos latinoamericanos, a los cuales pertenecemos.
各国代表の皆さん、我々は「進歩のための同盟」を、我等の進歩のための同盟、すべての者の進歩のための平和同盟と呼んでいる。我々は借款の配分からないがしろにされることに対しては反対しない。しかし、我々が属するラテンアメリカ各国の文化や精神的営みへの参画から疎外されることに対し、反対する。

Lo que nunca admitiremos es que se nos coarte nuestra libertad de comerciar y tener relaciones con todos los pueblos del mundo, y de lo que nos defenderemos con todas nuestras fuerzas es de cualquier intento de agresión extranjera, sea hecho por la potencia imperial o sea hecha por algún organismo latinoamericano que englobe el deseo de algunos de vernos liquidados.
我々が断固認めないのは、我々の商取引と、世界中の人々と繋がりを持つ自由が、制限されることである。我々は全力で、外国のいかなる侵略の試みから自衛するつもりである。その試みは、経済大国のか、あるいは、我々を一掃しようとする者たちの願望を包括する、ラテンアメリカのある機関の意図であるかもしれない。

(プンタ・デル・エステ会議 演説中のゲバラの記録映像)

Para finalizar, señor Presidente, señores Delegados, quiero decirles que hace algún tiempo tuvimos una reunión en el Estado Mayor de las Fuerzas Revolucionarias en mi país, Estado Mayor al cual pertenezco. Se trataba de una agresión contra Cuba, que sabíamos que vendría, pero no sabíamos aún cuándo ni por dónde. Pensábamos que sería muy grande, de hecho iba a ser muy grande. Esto se produjo antes de la famosa advertencia del Primer Ministro de la Unión Soviética, Nikita Khrushchov de que sus cohetes podían volar más allá de las fronteras soviéticas. Nosotros no habíamos pedido esa ayuda, y no conocíamos esa disposición de ayuda. Por eso, nos reunimos, sabiendo que llegaba la invasión, para afrontar como revolucionarios nuestro destino final. Sabíamos que si los Estados Unidos invadían a Cuba, una hecatombe habría, pero en definitiva seríamos derrotados y expulsados de todos los lugares habitados del país.
議長ならびに各国代表の皆さん、演説の最後に、私自身も所属している我が国の革命軍参謀本部で、少し前に会議が開かれたことをお伝えしたい。この会議で、キューバに対する侵略が、議論された。我々はそれが起こり得ることを知っていたが、いつ、どこから来るのか知らなかった。侵攻は大規模なものになるであろうと考えられた。実際、大変大きな事態になろうとしていたのだ。これは、ソビエト連邦のニキータ・フルシチョフ首相の例の警告の前のことだ。それは、ソ連のロケットが彼らの国境を越えて飛んで来れるという警告だった。我々はそのような支援要請をしなかったし、そのような配備があることを知らなかった。したがって、我々は侵攻が来ることを察知し、革命家として我等の最期の運命に立ち向かうために集結したのだ。もし合衆国がキューバを侵攻すれば、大虐殺が行われ、最終的には我々が打ち負かされ、国内のあらゆる居住地域から追い出されることを、我々は知っていた。

Propusimos, entonces, los miembros del Estado Mayor, que Fidel Castro se retirara a un reducto de la montaña y que uno de nosotros tomara a su cargo la defensa de La Habana. Nuestro Primer Ministro y nuestro Jefe contestó aquella vez, con palabras que lo enaltecen -como en todos sus actos- que si los Estados Unidos invadían a Cuba y La Habana se defendía como debiera defenderse, cientos de miles de hombres, mujeres y niños morirían ante el ímpetu de las armas yanquis, y que a un gobernante de un pueblo en revolución no se le podía pedir que se refugiara en las montañas, que su lugar estaba allí donde se encontraban sus muertos queridos, y que allí, con ellos, cumpliría su misión histórica.
そのとき、参謀本部のメンバーはフィデル・カストロが山中の砦へ退却し、参謀本部のメンバーのうち一人が、ハバナ防衛の任務を引き受けてはどうかと提案した。我々の首相兼指導者は、-彼のあらゆる行動がそうであるわけだが-、そのとき、賞賛に値する言葉で答えた。合衆国がキューバに侵攻し、ハバナが然るべき防衛体勢をとるなら、数十万人の男、女子供がヤンキーの兵器を前に、なぎ倒されるだろう。そのような時に、革命で人民を率いる指導者に対して、山中に篭もる様に要請することは出来ない。自分の居場所は、愛する戦死者がいるところであり、そここそが、自身の歴史的使命を果たすところである、と。

No se produjo esa invasión, pero mantenemos ese espíritu, señores Delegados. Por eso, puedo predecir que la Revolución cubana es invencible, porque tiene un pueblo y porque tiene un gobernante como el que dirige a Cuba.
Eso es todo, señores Delegados.(APLAUSOS)
そのような侵攻は起こらなかった。しかし、各国代表の皆さん、我々はその精神を持ち続けている。したがって、人民から支持され、現在、キューバを率いている指導者がいるからこそ、キューバ革命は不滅であると、予言することが出来るのである。
各国の代表の皆さん、以上です。
(拍手)
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国際世論からの非難に怯えたケネディ大統領は、プラヤ・ヒロン侵攻以後は、侵略を行わなかった。CIAがマングース作戦という破壊工作(今風に言えばテロ)を進めにに留まった。

1962年10月に、世界を震撼させた核戦争の危機がキューバで起きたのは、この演説から14ヵ月後のことである。

<参考図書>
ゲバラ 世界を語る 』甲斐美都里∥訳 2008年。中央公論新社。

ゲバラ 世界を語る (中公文庫)ゲバラ 世界を語る (中公文庫)
(2008/05/23)
エルネスト・チェ ゲバラ

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