マンデラさんが南アフリカ(以下南ア)の紙幣になったというニュースで記事を書いてから、密かに僕の中でマンデラ・ブームが巻き起ころうとしている。南アの革命家マンデラさんとキューバのカストロさんは仲が良いことは前の記事で動画を交えて紹介した。今日はマンデラカストロの共通項のひとつ、革命に命を投じる覚悟について書こうと思う。
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マンデラさんの演説をいくつかyoutubeで聴いたんですが、心に訴えるものがある。そこで革命家の前職を調べたところ案の定、カストロさんと同じ弁護士だった。革命家は民の心を動かさなければならない。どんなに誠実であり、革命に対して情熱を燃やしていても、それが内に秘められたままであっては何も変化は起こらない。両者の革命家は、持ち前の弁論術を以って、革命を表現したといえるだろう。

Statement in the Rivonia Trial, Pretoria Supreme Court (20 April 1964)
↑はマンデラさんがウムコント・ウェ・シズウェ(民族の槍)という武装闘争組織における活動の件で逮捕された後、64年のリヴォニア法廷で行った弁論。ネットで訳を探したんですが、翻訳機械で訳したようなものしか見つからなかったので、原文とともに自前の下手な意訳を下記に掲載します。
I have fought against white domination, and I have fought against black domination.
私は白人の支配と黒人の支配に対して闘ってきました。
I have cherished the ideal of a democratic and free society in which all persons will live together in harmony and with equal opportunities.
私はすべてのヒトが協調して平等な機会が与えられ、共に暮らしていける、民主的で自由な社会を築く理想を抱き続けてきたのです。
It is an ideal which I hope to live for. But, my lord, if needs be, it is an ideal for which I am prepared to die.
それは私が生涯を賭けて待ち望んでいる理想であります。しかし判事の皆さん、必要ならば私は理想のために死ぬ覚悟であります。


I have cherished the idealとあるが、マンデラさんは、ロベン島や他の過酷な獄中でさらに27年間この理想を心の中で温められた。そして釈放され、大統領に就任後の演説でこの箇所を引用されたのだ。マンデラさんこそ不屈の革命家といえるだろう!!

そして↓は有名なカストロさんの言葉である。
La historia me absolverá
53年のモンカダ兵営襲撃に失敗した後、カストロさんはマンデラ同様、命を投じる覚悟で上記の「歴史はわたしに無罪判決を下すであろう」で終わる演説を行った。下記に演説のクライマックスの一部を意訳で紹介する。ちゃんとした訳を知りたい方は「ドキュメンタリー現代史」などを参照してほしい。
Termino mi defensa, no lo haré como hacen siempre todos los letrados, pidiendo la libertad del defendido; no puedo pedirla cuando mis compañeros están sufriendo ya en Isla de Pinos ignominiosa prisión. Enviadme junto a ellos a compartir su suerte, es inconcebible que los hombres honrados estén muertos o presos en una república donde está de presidente un criminal y un ladrón.
これで弁護を終えようと思う。しかし私は、弁護士ならだれでもするように、被告の無罪釈放を訴える形で、私の弁論を終えるつもりはない。私の同志たちがピノス島の屈辱的な牢獄へ送られ苦しんでいる最中、私の無罪釈放を訴えることはできないのだ。私をピノス島に送り、同志たちと運命を共にさせよ。共和国大統領が犯罪者であり、国賊である時は、誠実な人々が死ぬか、囚われの身であることは当然の運命であろう。
(....)
En cuanto a mí, sé que la cárcel será dura como no la ha sido nunca para nadie, preñada de amenazas, de ruin y cobarde ensañamiento, pero no la temo, como no temo la furia del tirano miserable que arrancó la vida a setenta hermanos míos. Condenadme, no importa, La historia me absolverá.
私は牢獄が、ほかの人たちと同様に過酷で、脅迫、卑劣、意気地なしの残忍さであふれていることを知っている。しかし私は、70名の同志の息の根を止めた憐れな暴君の怒りを恐れないのと同様に、牢獄を恐れない。
私を断罪せよ。
どうということはない。
歴史は私に無罪を宣告するであろう。

Fuente: Defensa en el juicio por el asalto al cuartel Moncada
http://www.pctargentina.org/lahistoria17.html
※また機会があれば、ほかの興味深い箇所についても訳出し、思うことを書いていこうと思う。

残念ながらカストロさんのこの演説は、マンデラさんと違って音声が残っていない。しかし、この接続法と命令形で語られた弁論からは、カストロさんが判事の心の奥底まで震え上がらせるほどの声で演説を行ったことが想像出来るのだ。

ともかくこの両者は演説のスタイルは違うが、それぞれの国民の心に訴える演説で革命を表現し、闘争を通じてそれを体現された。マンデラさんからは長年の獄中生活でも、自らの理想を見失わない不屈の精神を感じ取れる。

当時の南アとキューバとは違い、日本では武装闘争こそ必要ないが、国を根本から変えたいのなら政治家は、彼らを見習ってほしい。同様に弁護士の職業から転じているポピュリストの政治家の言葉の軽いことか。。。一命を投じる覚悟で日本の舵取りを行ってほしいものだ。
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昨日の8月6日は原爆が広島に投下された日。僕たち日本人にとって決して忘れてはならない日だ。
キューバのインターネットラジオ局Radio Rebelde(直訳:反乱軍ラジオでシエラマエストラのゲリラ戦の時から続いているラジオ局)のサイトで日本についての記事があった。ヒロシマについてだ:La Era Atómica
ゲバラは1959年に外交の基盤を固める際に様々な国を訪問したが、来日して自らの強い希望でヒロシマの原爆ドームや原爆病院へ行った。また、その3年後に米ソの冷戦に巻き込まれ、キューバ危機という形で核戦争の一歩手前まで行った苦い経験をキューバは体験している。そして2003年にフィデル・カストロもゲバラと同様に広島を訪れている。キューバ危機を体験した彼らにとってヒロシマ、ナガサキ、核問題に対して関心が強いのは、当然といえば当然のことだろう。キューバ危機については項を改めて書きたい。
ところで、この記事で興味深いのは、アメリカの原子爆弾投下による残虐性が教育の場で十分に伝えられていないという指摘だ。僕もこの点について同じようなことを考えていた。昨日録画していたNHKスペシャル「封印された原爆報告書」で広島の被爆者の方がまるでモルモットのように調査、研究の対象になった事実を観たばかりだったからだ。原爆の問題で今まで一般市民の視点からの番組や映画はあっただろうけど、国家間の思惑や利害を交えたドキュメンタリーは観たことがなかったので衝撃的だった。日本も当時の国益を考えて、つまりアメリカに逆らえなかったので(今もだが)調査に協力せざるを得なかった。。。。要するにアメリカは日本の広島と長崎の人々をモルモットにしたのだ。
戦争を早く終結させなければならなかったから、とかアメリカ兵もジャップに殺されたンだぞとか反論されるだろうが、アメリカは日本を降伏させるのに本当に原爆を用いる必要があったのだろうか?いまさらこんなことを議論したって何も始まらないし、亡くなった方が救われるわけでもないが、アメリカがやったことを、「真実」を私達はもっと知らなければならないことは確かだろう。そんなことをキューバの記事と昨日のNHKスペシャルを観ながら考えさせられた。これからも、アメリカに媚びないNHKやキューバなどのメディアには、「真実」を報道されることを期待したい。

追記)
このヒロシマとゲバラについては他の方も詳しくかかれてます
クーバファーム奮闘日記
カストロ本人による初の自伝「戦略的勝利」
昨日のキューバの機関紙グランマの一面にフィデル・カストロの伝記についての記事が載っていた。
8月6日のグランマ
こっちは8月3日の記事で一面に伝記の題名が紹介されている。
その名も“La victoria estratégica”:戦略的勝利
8月3日のグランマ
いかにしてバティスタ側の正規軍1万人を相手に少数で勝利できたか?
といった戦略的な観点から伝記のようだ。
キューバの東部に位置するシエラ・マエストラを拠点にゲリラ活動をしていた頃の話だが、この時期の伝記というより日記なら、ゲバラが既に書いている。
ゲバラのシエラ・マエストラでのゲリラ戦の日記で、今本屋とかに売られている最新版は「革命戦争回顧録」原題はPasajes de la guerra revolucionariaが有名。(だけど、まだ僕は少ししか読んでない。。)

La victoria estratégica”は翻訳されて出版されるまで待てないので是非、原文のスペイン語で読んでみたいっすね。そのためにはまず、ゲバラの日記を原文で読んで予習でもしておくかな。。。。。