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 NHK国際放送のオンデマンドは日本文化を英語で発信する際のヒントになるので、最近よく観ているのですが動画一覧にゲバラの写真があると目につきますね。NHKスペシャル新・映像の世紀 第5集 「若者の反乱が世界に連鎖した」は日本語版で既に観た内容ですが英語で視聴してみると新しい発見がありました。

 16:40辺りから合衆国の大学生がボランティアしに革命後のキューバへ行ってゲバラと会話してる映像があります。彼らは要職に就いているゲバラが、労働者と同じように汗水流して現場で働いている姿に刺激を受けたという。


 続いて”アメリカの学生の書簡”という形で紹介されている箇所があるのですが、興味深い内容なので書き取ってみると原文にたどり着くことができました。
“after the guerrilla forces defeated the Batista army and took political power, I was in college in California reading Fidel Castro speeches and Che Guevara essays, as were millions of other youths(…) sharing all resources and wealth, eradictating poverty and hateful racism. Dashing personalities at the helm delivering inspirational speeches and poetic essays, stimulating energy and bonding brothers and sisters, lovers and comrades all. Echoes resounding the world over…”
書簡の主はロン・ライデンアワー氏。ベトナム戦争の帰還兵で、隠蔽されていたソンミ村虐殺事件を明るみに出すのに尽力されました。朗読箇所にある様に、ライデンアワー氏は他の何百万もの若者と同様に、カストロさんの演説やゲバラのエッセイに影響され、インスピレーションやエネルギーをそこから得たという。
 ライデンアワー氏についてはオリバー・ストーンの著書で知りましたが、キューバ革命に影響を受けられたというのは興味深いですね。不正を許さない強い心が勇気ある行動に駆り立てたのだと思うと、ゲバラなき後も彼の精神は活かされたのだと感じられました。
 
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去年の5月の連休のキューバ旅行で撮ったカバーニャ要塞の写真が、今月の卓上カレンダーの写真として机上にあるのですが、見ていると旅の思い出がよみがえってきます。エア・カナダのフォトコンテストに応募し、4月のカレンダー賞を頂いたものです。

第4回 エア・カナダ フォトコンテスト2015受賞作品発表

サンタクララのゲバラ霊廟を訪れ、ハバナへ帰ってきた日に訪れた夜のカバーニャ要塞の城門。カバーニャは既に訪れていたのですが、カニョアソと呼ばれる大砲の儀式はまだ観ていませんでした。晩飯食べる以外に特に旧市街地でやることもなかったので、タクシーをつかまえて湾を挟んで対岸のカバーニャへ。
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タクシーで城内へは入れませんが、馬車に乗り換えることは可能です。お高そうですが。
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ちょうど日没後の夜闇が浮かび上がってくる頃合いに、城門前に着きました。ライトアップで幻想的な雰囲気なのですが、やはり観光客が多いですね。
Entrada del Fortaleza de San Carlos de La Cabaña
大砲の儀式までの時間を利用し、人馬がいない頃合いを見計らって撮ったのが上掲載のカレンダー写真です。スペイン統治下時代のコスチュームの左の兵隊さんの遠くを見つめる眼差しが良いですね。

写真を撮った時はエア・カナダの写真コンテストすら知らなかったので、まさかカレンダーになろうとは思ってもみなかったのですが、良い条件で撮ることが出来ました。左の門兵さんへの光の当たり具合が特に気に入っています。以前の旅行記でも書きましたが、18世紀にカルロス三世によって建てられたサン・カルロス・デ・ラ・カバーニャ要塞。きっと数多くの歴史ドラマを見てきたことでしょう。

このカバーニャ要塞の城門は1959年1月3日の夜、初めて首都へ入城した革命軍司令官チェ・ゲバラをも迎えました。この時の様子はPaco Ignacio Taibo IIのErnesto Guevara, también conocido como el Che(邦題:「エルネスト・チェ・ゲバラ伝」、訳:後藤政子)で描かれています。三台の車でまっすぐ要塞へ向かったゲバラ。堀外から監視している革命軍の民兵から距離を置いて、要塞の前には衛兵が立っている。ゲバラはためらいを見せず直進し、カバーニャは無血開城されました。上記著者によって、この時のゲバラの心境が次のように描写されています。
¿Así es la victoria? ¿Un ingreso nocturno sin pena ni gloria a mitad de la noche en un cuartel cuyo jefe lo enmtrega antes de que se lo pidan?
「これが勝利なのか?勧告前から要塞の長官は降伏し、栄光も苦難もなく真夜中に入城することが?」
Paco Ignacio Taibo II ,Ernesto Guevara, también conocido como el Che (1996)

グランマ号でキューバ東部へ上陸後、主にシエラ・マエストラやエスカンブライなど山岳地帯を拠点に2年以上のゲリラ闘争を経てやっと辿り着いた首都ハバナ。異国の地で革命に身を投じ、従軍医から大都市解放を任される司令官へまで登り詰めたゲバラはこの時、ちょうど30歳。カバーニャ要塞を解放し、3000もの兵を預かることになったゲバラは重責を改めて感じたことでしょう。
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カバーニャ要塞からはハバナ旧市街地の夜景も一望できます。初めて目にするキューバの首都の夜景を前にゲバラは何を思ったのだろうか。

きょうNHKスペシャルで放送された新・映像の世紀「第5集 若者の反乱が世界に連鎖した」では、ゲバラがいかに60年代の若者に影響を与えたかが紹介されていました。後記でも触れますが、毛沢東の文化大革命の映像は初めて観ただけに衝撃的でした。ワイルド・スワンなど書物を通じて、あの文化大革命の狂気の沙汰を知っていましたが、映像からはまた違った印象を受けますね。

番組では具体的に紹介されませんでしたが、ゲバラの映像が若者を刺激した事例としては、61年ウルグアイのプンタ・デル・エステで開催された米州機構経済サミットでのゲバラの演説を挙げることが出来る。この時の演説はユネスコ記憶遺産のアーカイブなどで視聴可能。合衆国がキューバ革命に対抗するためラテンアメリカの団結を企てたのに対し、ゲバラが強い調子で抗議している演説は観る者をも熱くさせます。

Fuente: Fragmento del discurso en la reunión del CIESPunta del Este, el 8 de agosto de 1961Video ( "Memory of the...

Posted by チェ・ゲバラ研究室Despacho del Che Guevara on 2012年6月10日

ゲバラがこの演説で声高に述べているように、キューバ革命のメッセージは国境を超えて世界へ行き渡りました。映像に関してはテレビなどあらたな媒体が、これに拍車をかけたことは言うまでもありません。

この映像は主にラテンアメリカの若者を刺激し、ケネディの対キューバ策「進歩のための同盟」に反対する抗議デモが各地で起きました。各国政府は合衆国の方針に追随しますが、ゲバラが暴く合衆国の偽善に多くの若者が同調しました。その熱狂ぶりは米州機構経済サミットで滞在中のウルグアイの大学でゲバラが行った演説の記録音声からも感じ取れるのではないでしょうか。

一方で、閉鎖的な中国の情報については、正確に欧米へ伝わっていなかったことも、今日の番組を通じて改めて感じさせられました。ヨーロッパでゲバラと毛沢東のポスターが並べて掲げられている映像が紹介されていましたが、欧米ではゲバラ同様、毛沢東も若者を虜にしていたという。狂気の文化大革命の映像、少なくとも毛沢東体制に不都合な映像は欧米へ伝えられることはありませんでした。

ゲバラはあの有名な写真のイメージが先行しますが、彼の影響力を”映像”という視点から見つめ直すのもなかなか面白いかもしれませんね。
終戦70周年を迎えた今年、広島では平和公園で行われた式典では海外から過去最多となる100か国の代表を含む、およそ5万5000人が参列されました。最も注目されたのが核戦争の危機、いわゆるキューバ危機の当事者であった亡きケネディ元合衆国大統領の娘ケネディ駐日大使。終始、硬い表情を崩さず早々と会場から立ち去られたそうです。合衆国のヒロシマに対する姿勢を考えると、大使としては発言を極力控えたいところなのでしょうか。
広島「原爆の日」で平和記念式典 NHK

 いずれにせよ各国の指導者が広島の平和公園を訪問することは重要なことに違いありませんが、一般の外国人観光客にもより多くの方に訪問していただきたいものです。書物やドキュメンタリー映画等で学ぶことも大事ですが、実際に広島を訪問されることでのみ得られるものがあるでしょうから。余談ですが、先月海外からの来日者に京都の神社や寺などをボランティアガイドとして紹介していたのですが、広島を訪問されて来られた方がいらっしゃいました。ボランティアですがガイドをしていると観光地では様々な質問を海外の方からされます。日本人とはまた違った視点から観られているので新たな発見があり逆にこちらが学べる点も多々あるのですが、ガイドの醍醐味の一つではないかと思います。

 海外からの来訪者の瞳にはヒロシマはどのように映るのか。ゲバラの広島訪問は周知されていますが、彼がヒロシマについて記した書簡はあまり知られていません。去年、ゲバラが帰国後記した「原子力の悲劇から日本は復興する」を紹介しましたが、ゲバラの鋭い観察眼と共に、彼の強い感受性がうかがえる箇所があります。

「印象的なのは、14年前に広島と長崎で起きた核爆発によってもたらされた病気で、今年106名の方が亡くなられたことだ。今日すっかり復興を果たした、その犠牲者の街を私は訪れた。アーチ状に縁取られた鉄筋と、その背後にある原爆が投下された建物の廃墟が、犠牲者の慰霊碑となっている。身元が確認できた7万4千名の方の名前が、その慰霊碑に刻まれている。灼熱の炎のなか、死んでいったヒトを目の当たりにした者達の、やり場のない憤り、果てしない絶望。
(…)
恐ろしい爆発の後に復興された広島では、何もかもが新しい。しかし消すことのできない悲劇の痕跡は、爆弾が投下された所に位置していた建物の、当時のまま残されたレプリカの中を漂っている。しかしながら、両者には連続性に欠けるように思える。この街を、あたかもすでに死んだものの再生のように見せることに、私は釈然としない。」
Recúperese Japón de la tragedia atómica.
Publicado en la revista Verde Olivo el 19 de octubre de 1959.

Ernesto Che Guevara en Japón. Viaje diplomático representando a Cuba. 1960

Posted by La Pastera Museo del Che on 2015年3月1日

広島城の前に立つゲバラ。戦火により数多くの城が消失しましたが、広島城もレプリカ。

ゲバラの訪日から半世紀以上の歳月が経ち、現在では29万7684人の原爆死没者名簿が原爆慰霊碑に納められています。第二次世界大戦を生きて来られた方から記憶の伝承を次世代へ行うと共に、世界中の方に原爆が投下された広島、長崎だけでなく東京大空襲についても知って頂くことは、日本人に課せられた責務ではないでしょうか。そのためには、まず日本人自身が真剣に戦争が起きた背景、戦時中に起きた史実に向き合わなければなりません。

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ireihi.jpg
広島訪問時に撮影しました慰霊碑
原水爆禁止2015
「5人の英雄」のひとりフェルナンド・ゴンサレス・ジョルトさんがキューバ諸国民友好協会(ICAP)副総裁として原水爆禁止2015年世界大会に参加されました。
写真:キューバ大使館提供 Foto: Embajada cubana en Japón/Facebook
きょう12月11日はゲバラが国連総会で演説を行った日ですが、今年はちょうど50周年を迎えました。ゲバラの演説といえばまずはこの国連での演説を聴く人が多いのではないでしょうか。あのハリウッド映画でも国連演説が再現されていましたが、やはり本物のゲバラの演説音声を聴かれるのが一番です。

50年前の1964年12月11日、ゲバラは2度国連の演壇に立っています。初めの演説の所要時間は約1時間。すべて音声が遺っていますが、第二次ハバナ宣言をゲバラが読み上げる箇所の字幕動画を以前制作しました。ところどころカストロさんの演説が挿入されていますが、これは61年のオリジナルの第二次ハバナ宣言です。



この第二次ハバナ宣言を読み上げる箇所も良いのですが、一番お薦めなのは2回目の演説でゲバラが自分はラテンアメリカの愛国者だと言った箇所です。この箇所もあの長編ハリウッド映画で訳者が再現していましたが、本物のゲバラの声には及びませんね。

たしかに、私にはアルゼンチン訛りがあるのかもしれない。私はアルゼンチン生まれだし、そのことは誰にも内緒にしていない。私はキューバ人であり、アルゼンチン人でもあるのだ。もしこういって、ラテンアメリカの高貴な方々の気に障らないなら、私はラテンアメリカ中の国々の愛国者だと感じている。もし必要な時になれば、私は誰に何を求める事もなく、何かを迫る事もなく、誰かを搾取することなく、ラテンアメリカ中の国々のために自らの命を投じる覚悟である


この演説を聴いて、私たちアジア人もゲバラの精神に見習わなければならないのではないかと考えさせられますね。「私はアジアの国々の愛国者だ」と胸を張って言う人物は今後現れるのでしょうか。しかし、現在のアジアはラテンアメリカと違いまったく真逆の方向へと進んでいるのが現実です。だからこそ、この演説はむしろラテンアメリカの人よりアジア人に聞いていただきたいと考えています。

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