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今年はゲバラ没後50周年という節目を迎え、サンタ・クララのゲバラ霊廟のモニュメントが修復されました。ここではよくゲバラの銅像の写真が紹介されますが、見過ごされているのが銅像の周りにある石碑に刻まれたゲバラの言葉。既に当ページではその原文を訳したものを紹介していますが、今回は今年公開の日本・キューバ合作映画「エルネスト」の主人公フレディ・マエムラの生涯とも絡めて、そのゲバラの言葉を解説していきます。

今回紹介するのはゲバラがキューバの医学生を相手に行った演説文で、そのゲバラの肉声も聴くことが出来ます。写真は私が訪問した際に、たまたま出会ったキューバの医学生。ハバナとサンタ・クララの間にあるマタンサスから生涯学習のために引率の先生と来られていました。ゲバラも革命家である前は人々を救う医師を志していたので、やはり憧れるとのこと。引率の先生の提案でゲバラの銅像の前で記念撮影しようかと話になったのですが、私はもっと相応しい場所がありますよと別の場所へ誘ってみました。そこは霊廟の隅の石碑前で、そこまで首をかしげながらついていってくれた彼らも、碑文を見るなり納得。下記はその碑文の原文と訳。

DSC08006a.jpg

“-Estaba, en aquellos momentos, en Guatemala, la Guatemala de Arbenz-
(...)
Entonces, me di cuenta de una cosa fundamental: para ser médico revolucionario o para ser revolucionario, lo primero que hay que tener es revolución.”
「当時、私はアルベンス政権のグアテマラにいた。(…)そのとき、私は根本的なことに気づいた。革新的な医師になるにせよ、革命家になるにせよ、第一になさなければならないことは、革命であるということだ。」


Fuente: Discurso en el acto de inauguración del curso de adoctrinamiento organizado por el Ministerio de Salud Pública el 20 de agosto de 1960



碑文の対応箇所は動画の2:10から一部の省略を挟んで、3:50あたりまで。

碑文の前後文は上掲載の演説字幕動画で確認出来ますが、ゲバラがどのような経緯でキューバ革命に参加するようになったかがよく分かります。映画モーターサイクル・ダイアリーズでも描かれているようにゲバラは南米学生旅行を通して、貧しい人たちを救う医師になる志を固めましたが、個人としての活動を通して悲惨なラテンアメリカの現状を変えようとしていました。しかしグアテマラで革命が合衆国が後押しする軍人アルマスによって潰されたのを目の当たりにしたゲバラは、一個人として出来ることの限界を感じます。上掲載のゲバラの肉声は医学生へ向け次のように語っています。

“De nada sirve el esfuerzo aislado, el esfuerzo individual, la pureza de ideales, el afán de sacrificar toda una vida al más noble de los ideales, si ese esfuerzo se hace solo, solitario en algún rincón de América, luchando contra los gobiernos adversos y las condiciones sociales que no permiten avanzar.”
「一人っきりでの努力は、全く役に立たない。一個人の努力や信条の純潔さ、生涯を最も高潔な理想に捧げようとする熱意やこれらの努力も、アメリカ大陸の片隅で一人で注がれるなら、敵対する政府や進歩を許さない社会精力を相手に闘ったところで、なんの役にも立たないのだ。」


グアテマラで辛い経験をしたゲバラでしたが、後にカストロさんら7月26日運動の隊員との出会い、キューバ革命への参加という生涯における一大事を決断しました。つまりゲバラがメスを捨て銃を取る決断を促したのは、合衆国の利権を脅かした国がいとも簡単に武力によって倒されたグアテマラで感じた憤りだったといえるでしょう。

それでは、映画「エルネスト」の主人公フレディ・マエムラは何がきっかけで、ゲバラとのボリビアでのゲリラ活動に参加するほどキューバ革命に関わるようになったのか?フレディもゲバラ同様に、もともとは医学生でしたが、彼がキューバへ留学生として来たのは上掲載の演説の翌年、キューバ危機が起る直前のことでした。このキューバの国難に居合わせたフレディは、ボリビア人にもかかわらず対空機銃の操作という重要な任務を任されます。これが彼の生涯にとって一つの大きな転機となりますが、キューバ危機の時のことは、別の碑文の解説でも触れることにします。
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 今年はゲバラ没後50周年の節目で、日本とキューバの合作映画や写真展が開催され、FBページでも宣伝しています。キューバのサンタ・クララのゲバラ霊廟では、遺骨帰還20周年を記念した修復作業が行われました。
Finaliza restauración del Complejo Escultórico Ernesto Che Guevara Cubadebate
estatua del che
霊廟のシンボルであるゲバラの銅像
写真:Jennifer Romero/Cubadebate.

修復作業を行ったのはドイツのMD Projektmanagement社で、ハバナの旧国会議事堂カピトリオの修復工事も手掛けています。霊廟では銅像が有名ですが、ゲバラの演説文やカストロさんに宛てた別れの手紙が記された碑文も残されています。スペイン語ですが、記録音声が遺っているものなので、また別の記事で紹介します。

動画は今年4月にアルゼンチンのアーカイブで公開された97年の遺骨帰還の式典。同志であるアルメイダさんの後にシルビオ・ロドリゲスさんがゲバラに最初に捧げられた”La era está pariendo un corazón”を歌われています。次に動画の大半を占めるカストロさんの演説後、ゲリラ行進曲の演奏とともにゲバラとボリビアで闘った同志6名の遺骨がサンタクララへ帰還された様子が映されています。サンタクララの霊廟では今年の10月に上映予定の映画「エルネスト」の主人公であるフレディ・マエムラの遺骨も納めされています。
 NHK国際放送のオンデマンドは日本文化を英語で発信する際のヒントになるので、最近よく観ているのですが動画一覧にゲバラの写真があると目につきますね。NHKスペシャル新・映像の世紀 第5集 「若者の反乱が世界に連鎖した」は日本語版で既に観た内容ですが英語で視聴してみると新しい発見がありました。

 16:40辺りから合衆国の大学生がボランティアしに革命後のキューバへ行ってゲバラと会話してる映像があります。彼らは要職に就いているゲバラが、労働者と同じように汗水流して現場で働いている姿に刺激を受けたという。


 続いて”アメリカの学生の書簡”という形で紹介されている箇所があるのですが、興味深い内容なので書き取ってみると原文にたどり着くことができました。
“after the guerrilla forces defeated the Batista army and took political power, I was in college in California reading Fidel Castro speeches and Che Guevara essays, as were millions of other youths(…) sharing all resources and wealth, eradictating poverty and hateful racism. Dashing personalities at the helm delivering inspirational speeches and poetic essays, stimulating energy and bonding brothers and sisters, lovers and comrades all. Echoes resounding the world over…”
書簡の主はロン・ライデンアワー氏。ベトナム戦争の帰還兵で、隠蔽されていたソンミ村虐殺事件を明るみに出すのに尽力されました。朗読箇所にある様に、ライデンアワー氏は他の何百万もの若者と同様に、カストロさんの演説やゲバラのエッセイに影響され、インスピレーションやエネルギーをそこから得たという。
 ライデンアワー氏についてはオリバー・ストーンの著書で知りましたが、キューバ革命に影響を受けられたというのは興味深いですね。不正を許さない強い心が勇気ある行動に駆り立てたのだと思うと、ゲバラなき後も彼の精神は活かされたのだと感じられました。
 
去年の5月の連休のキューバ旅行で撮ったカバーニャ要塞の写真が、今月の卓上カレンダーの写真として机上にあるのですが、見ていると旅の思い出がよみがえってきます。エア・カナダのフォトコンテストに応募し、4月のカレンダー賞を頂いたものです。

第4回 エア・カナダ フォトコンテスト2015受賞作品発表

サンタクララのゲバラ霊廟を訪れ、ハバナへ帰ってきた日に訪れた夜のカバーニャ要塞の城門。カバーニャは既に訪れていたのですが、カニョアソと呼ばれる大砲の儀式はまだ観ていませんでした。晩飯食べる以外に特に旧市街地でやることもなかったので、タクシーをつかまえて湾を挟んで対岸のカバーニャへ。
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タクシーで城内へは入れませんが、馬車に乗り換えることは可能です。お高そうですが。
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ちょうど日没後の夜闇が浮かび上がってくる頃合いに、城門前に着きました。ライトアップで幻想的な雰囲気なのですが、やはり観光客が多いですね。
Entrada del Fortaleza de San Carlos de La Cabaña
大砲の儀式までの時間を利用し、人馬がいない頃合いを見計らって撮ったのが上掲載のカレンダー写真です。スペイン統治下時代のコスチュームの左の兵隊さんの遠くを見つめる眼差しが良いですね。

写真を撮った時はエア・カナダの写真コンテストすら知らなかったので、まさかカレンダーになろうとは思ってもみなかったのですが、良い条件で撮ることが出来ました。左の門兵さんへの光の当たり具合が特に気に入っています。以前の旅行記でも書きましたが、18世紀にカルロス三世によって建てられたサン・カルロス・デ・ラ・カバーニャ要塞。きっと数多くの歴史ドラマを見てきたことでしょう。

このカバーニャ要塞の城門は1959年1月3日の夜、初めて首都へ入城した革命軍司令官チェ・ゲバラをも迎えました。この時の様子はPaco Ignacio Taibo IIのErnesto Guevara, también conocido como el Che(邦題:「エルネスト・チェ・ゲバラ伝」、訳:後藤政子)で描かれています。三台の車でまっすぐ要塞へ向かったゲバラ。堀外から監視している革命軍の民兵から距離を置いて、要塞の前には衛兵が立っている。ゲバラはためらいを見せず直進し、カバーニャは無血開城されました。上記著者によって、この時のゲバラの心境が次のように描写されています。
¿Así es la victoria? ¿Un ingreso nocturno sin pena ni gloria a mitad de la noche en un cuartel cuyo jefe lo enmtrega antes de que se lo pidan?
「これが勝利なのか?勧告前から要塞の長官は降伏し、栄光も苦難もなく真夜中に入城することが?」
Paco Ignacio Taibo II ,Ernesto Guevara, también conocido como el Che (1996)

グランマ号でキューバ東部へ上陸後、主にシエラ・マエストラやエスカンブライなど山岳地帯を拠点に2年以上のゲリラ闘争を経てやっと辿り着いた首都ハバナ。異国の地で革命に身を投じ、従軍医から大都市解放を任される司令官へまで登り詰めたゲバラはこの時、ちょうど30歳。カバーニャ要塞を解放し、3000もの兵を預かることになったゲバラは重責を改めて感じたことでしょう。
A105.jpg
カバーニャ要塞からはハバナ旧市街地の夜景も一望できます。初めて目にするキューバの首都の夜景を前にゲバラは何を思ったのだろうか。

きょうNHKスペシャルで放送された新・映像の世紀「第5集 若者の反乱が世界に連鎖した」では、ゲバラがいかに60年代の若者に影響を与えたかが紹介されていました。後記でも触れますが、毛沢東の文化大革命の映像は初めて観ただけに衝撃的でした。ワイルド・スワンなど書物を通じて、あの文化大革命の狂気の沙汰を知っていましたが、映像からはまた違った印象を受けますね。

番組では具体的に紹介されませんでしたが、ゲバラの映像が若者を刺激した事例としては、61年ウルグアイのプンタ・デル・エステで開催された米州機構経済サミットでのゲバラの演説を挙げることが出来る。この時の演説はユネスコ記憶遺産のアーカイブなどで視聴可能。合衆国がキューバ革命に対抗するためラテンアメリカの団結を企てたのに対し、ゲバラが強い調子で抗議している演説は観る者をも熱くさせます。

Fuente: Fragmento del discurso en la reunión del CIESPunta del Este, el 8 de agosto de 1961Video ( "Memory of the...

Posted by チェ・ゲバラ研究室Despacho del Che Guevara on 2012年6月10日

ゲバラがこの演説で声高に述べているように、キューバ革命のメッセージは国境を超えて世界へ行き渡りました。映像に関してはテレビなどあらたな媒体が、これに拍車をかけたことは言うまでもありません。

この映像は主にラテンアメリカの若者を刺激し、ケネディの対キューバ策「進歩のための同盟」に反対する抗議デモが各地で起きました。各国政府は合衆国の方針に追随しますが、ゲバラが暴く合衆国の偽善に多くの若者が同調しました。その熱狂ぶりは米州機構経済サミットで滞在中のウルグアイの大学でゲバラが行った演説の記録音声からも感じ取れるのではないでしょうか。

一方で、閉鎖的な中国の情報については、正確に欧米へ伝わっていなかったことも、今日の番組を通じて改めて感じさせられました。ヨーロッパでゲバラと毛沢東のポスターが並べて掲げられている映像が紹介されていましたが、欧米ではゲバラ同様、毛沢東も若者を虜にしていたという。狂気の文化大革命の映像、少なくとも毛沢東体制に不都合な映像は欧米へ伝えられることはありませんでした。

ゲバラはあの有名な写真のイメージが先行しますが、彼の影響力を”映像”という視点から見つめ直すのもなかなか面白いかもしれませんね。
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