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早朝、サンティアゴ・デ・クーバの冬空に鳴り響く弔砲と葬送ラッパ。
先月25日に逝去されたカストロさんの御遺灰が、国に殉じた他の同志が眠るサンタ・イフィヘニア墓地に納められ、墓石の前で葬儀が執り行われました。カストロさんが切に願われていたのは、これまでキューバ国民が築き上げて来た革命の功績が次世代へ確かに受け継がれていくこと。2000年のメーデーでホセ・マルティのモニュメントの前で演説された革命の綱領は、キューバ革命の核としてモニュメントに記されました。

「革命とは歴史的な瞬間の認識を持つことである。変革すべき、あらゆるものの変革。完全な平等と自由。各々が互いにヒトとして尊重すること。私たち自身の手で自由を実現すること。国家や社会を牛耳る国内外の強権に立ち向かうこと。あらゆる犠牲を払ってでも護るに値すると信じられるもの。慎み深さ、無私無欲、利他主義、連帯、英雄的精神。勇気と、知性、リアリズムをもって闘うこと。決して道義を破り欺かないこと。真実と思想を打ち破り得る力は世界中に存在しないと確信すること。」
「革命とは団結であり、独立であり、公正なキューバや世界を志向する理想のために闘うことである。それはわが国の愛国心や、社会主義、国際主義の礎である。」

キューバでは革命の綱領がポスターに箇条書き形式で印字されていますが、いずれもキューバ革命の歴史がそれを裏付け、何よりご自身が体現されて来られたカストロさん。いま改めて演説の動画を観ていると特に「決して道義を破り欺かないこと」が強調されているように感じられました。カストロさんは様々な観点から評価されていますが、私が特筆に値するものをあえてひとつ挙げるとすれば「義を貫かれた」こと。国民に優しいカストロさんですが、ヒトの道に反する行為に対しては厳しく当たられました。カストロさんは演説などで、モラル(道義)について何度も述べられて来られました。超大国の覇権と対峙しながらも、これまでキューバが革命政権を存続できたのは、キューバが国内外に示してきたモラルが国民や国際社会から支持されて来たことによるところが大きいことに違いありません。

喪服期間中、在日キューバ大使館には、外相をはじめ、わが国の政権幹部、一部の例外を除く各政党の代表が弔意を示すために訪問しました。民から長年愛され、支持されて来られたカストロさんに対する畏敬の念はどの政治家も持っているのでしょう。著名人だけでなく多くの一般人も大使館を訪れ弔問記帳をされました。


私も先週、大使館にカストロさんへの感謝の気持ちを込めて、メセージと共にユリの花を贈りました。モラルを大切にする国、キューバに興味を持ったきかっけはカストロさんの演説を聴いたときのこと。行き過ぎた個人主義がはびこる今日において、人として生きる上で最も大切なことを教えて頂きました。 私は社会主義に傾倒しているわけではありませんが、カストロさんが示して来られた道義に適うような人生を送れればと思います。
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 帰宅後、NHKのニュースウォッチにチャンネルを合わせると首相がハバナで記者会見を行いその中継映像が映っていて驚いた。キューバ側のメディアは積極的に今回の安倍首相の訪問を報じてはいないが、国内メディアはいち早くカストロさんと安倍首相の会談の様子を伝えた。

 興味深いのはこの会談で、主に安全保障について話されたことだ。NHKによると、

北朝鮮が核実験や弾道ミサイルの発射を繰り返していることなどをめぐって意見を交わされた(...)安倍総理大臣は「1995年と2003年のカストロ前議長の訪日によって、2国間関係は大きく進展した。2003年の訪日で、前議長が広島を訪問して被爆の実相に触れ、『人類はこのような経験を二度と繰り返してはいけない』と記帳したことは、日本国民に深い感銘を与え、国際社会への強いメッセージとなった」と述べました。
これに対し、カストロ前議長は「日本がさまざまな分野で努力を重ね、世界に貢献していることに感銘を受けている」と述べました。

という。
 
 日本側の意図は明確だ。経済援助と引き換えに、北朝鮮の核兵器開発をやめさせるようキューバに協力を求めることに会談の目的があったようだが、これはなかなかキューバの真価を見極めた外交戦略ではないかと感じた。
 キューバは核戦争の危機が勃発した国で、その後カストロさんは長年にわたって核兵器廃絶を国際舞台の場で訴えかけられて来られた。それだけに、北朝鮮の核問題の対処を視野に入れた核廃絶についての対談し核兵器廃絶の想いで両国が一致したことが、メディアによって対外的に発信されることは、わが国の安全保障において一定の効力があるのではないだろうか。
 また、国境を接する中国を通じた対話と違い、地理的に遠いキューバとのパイプは、交渉の窓口としては理想的ではないかと思う。

 一点気になるのは、首相がカストロさんが広島で記された「平和のメッセージ」を次のように引用された点だ。NHKによると

『人類はこのような経験を二度と繰り返してはいけない』


と引用されたそうだが、原文は「“Que jamás vuelva a ocurrir semejante barbarie” このような蛮行は二度と起こしてはいけません。」である。semejante barbarie(このような蛮行)が「経験」と訳されていますがこれは合衆国への配慮からだろうか。

 以前の記事で書きましたが、カストロさんはオバマ大統領が広島を訪問された際、謝罪しなかったことを非難された。早期戦争終結に広島への核兵器使用は必要であったというのが合衆国の言い分ではあるが、広島への原爆投下は冷戦構造を作るための見せしめであったことは明らかだ。しかしながら、合衆国の蛮行を非難できないのがわが国の実情である。それが今回の引用文で如実に表れている様に感じられた。
2016.08.13 カストロさん、誕生日の手記で核兵器の脅威を訴えられる~卒寿祝いに90メートルの葉巻~
 先日、キューバの葉巻をこよなく愛されている方から、刊行されている雑誌「Légende レジャンド」をいただきました。 特集記事「世界最高のハバナ・シガー、コイーバ祝50周年!」ではカストロさんと深い関わりのあるこの葉巻の誕生話や世界中の葉巻愛好家が最高の葉巻を求めて集うハバノス・フェスティバルについて記されています。
 2002年に開催された第4回ハバノス・フェスティバルの最終日に催されたガラディナーとヒュミドール・オークションに参加されたカストロさんの写真が掲載されており、葉巻を嗜まない私にとっても興味深い内容です。このオークションの様子はAP通信のアーカイブ動画で観ることが出来ます。

 葉巻を保存するために使用されるヒュミドールにサインをされるカストロさんや、映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』で日本でも名が知られているコンパイ・セグンドさんがステージに立たれ、葉巻愛好家の祭りがフィナーレを迎える様子がアーカイブ動画で記録されています。世界中で名が知られている2人が出席されている記録映像からは、葉巻がキューバにとっていかに重要な産業であるかが伝わってきますね。

葉巻はゲバラやカストロさんのトレードマークですが、それ以上の存在であることを知ったのが合衆国の葉巻雑誌Cigar Aficionado(シガー・アフィショナード)のカストロさんへのインタビュー記事。いただいた雑誌「Légende レジャンド」に掲載されていた写真に、この取材記事が掲載されている「シガー・アフィショナード」の表紙があるのですが、コイーバと共にカストロさんが笑顔で写られています。

 「シガー・アフィショナード」のホームページで、この取材記事を閲覧することが出来ます。インタビューが行われたのは94年、ソ連崩壊後、合衆国がここぞとばかりに経済封鎖を強化し、キューバが物資不足の苦境に陥っていた時代。

 取材をされたマーヴィン・シャンケン氏の夢はコイーバが生産されているキューバ西部のブエルタ・アバホを訪問することと、カストロさんと葉巻について語ること。取材前にいよいよ2つ目の夢が叶おうとしている当時の興奮が冒頭で記されています。シャンケン氏の雑誌を愛読されているカストロさんですが、葉巻の話題について嬉々と語られた様子が記事の文面から伝わってきます。カストロさん自身は取材された当時からさかのぼること8年前に禁煙されていたのですが、、禁煙を始められた正確な日付まで覚えられていたという。

初めて葉巻を嗜まれたのは15歳のときで、禁煙された59歳までの44年間、葉巻はカストロさんと共にあった。海外の記者を迎えた取材会見等の写真では、カストロさんの手には、いつでも葉巻がありました。CIAはカストロさんの葉巻に爆薬を仕掛け暗殺を謀ったほどです。カストロさんが喫煙を止められたのは、暗殺から逃れるためではなく、キューバの禁煙運動の一貫で模範を示すため。当初は自身の健康の為ではなく、副流煙が周りにいる人の健康を害さないようにとの配慮から禁煙を始められたようです。ゲバラと同様、葉巻のイメージが強いカストロさんですが禁煙された時期は85年と意外と早く、その動機も意外なものでした。 


 インタビューでゲバラとの葉巻の思い出についての質問で、彼はアルゼンチンのアサードど同じぐらい葉巻を嗜んだと応えられています。
 
 シエラ・マエストラでゲリラ戦を指揮されていたとき、葉巻が乏しくなったときは胸ポケットに一本だけ残し、報告を聞かれるときに吸われたという。吉報なら葉巻で祝い、凶報なら葉巻が慰めになったそうです。 シャンケン氏の取材は94年に行われましたが、もしクリントン大統領と会われることがあれば、両国の友好のシンボルとして一緒に葉巻を吸われますか?という問いに対しては、かつてシエラ・マエストラで祝ったように、葉巻で両国の友好を祝福したいと応えられました。ただし、世界保健機関(WHO)に示してきた禁煙運動の示しは損ないたくないと。

 むかしと違って喫煙者への目線が厳しくなってきているのが時代の流れ。 シャンケン氏によると、ビル・クリントンの奥さんのヒラリー・クリントンは当時、ホワイト・ハウスでの喫煙を禁止したという。・クリントン大統領はやむを得ず葉巻を噛んでいるだけだと。これを聞いてカストロさんは、ホワイトハウスでの両国首脳間の葉巻での平和の契りを諦められました。

 対キューバ経済封鎖はシャンケン氏のような合衆国の葉巻愛好家にとっては大きな障壁となっていますが、両国が国交正常化へ歩み始めた今日においても続いています。次期大統領として最も有力というより確実なヒラリー・クリントンは、喫煙者に対し寛容でないことは確かですが、この問題に対しどう取り組むか注目されます。
 
 コイーバが1966年に誕生して50年を迎えた今年。来年はゲバラ没後50周年を迎えます。半世紀という歳月が経っても、ゲバラが世界中の人々から愛されているように、コイーバも根強い人気を誇っているようです。 



73年に北ベトナムを訪問された際、ライフルを手にしながら葉巻を楽しまれているカストロさん。外遊先でもコイーバは欠かせない。
 きょうはカストロさんの90歳の誕生日で、さきほど国営メディアのクバデバテにカストロさんの手記が掲載されていました。生まれ故郷のビランで過ごされたときの事などが記されていましたが、特に印象的だったのが後半で核兵器の脅威を語られ、オバマの広島訪問について言及されていた箇所。合衆国大統領が5月に広島訪問し演説されたのは記憶に新しいですが、謝罪されなかったことについて批判されていました。

 カストロさんも広島を訪問されましたが、今春、在日キューバ大大使館のFBページにそのときの動画が掲載されていました。残された平和のメッセージは以前にも紹介しましたが、そのとき広島で行われたカストロさんの演説は私自身も初めて観ました。特にキューバ危機について言及されたときカストロさんが苦悩に満ちた表情で「私たち自身も広島のようになる可能性があった」と述べられた箇所が特に印象に残りました。政治的な発言は避けられましたが、これについてはまた別の機会に改めてブログで書こうと思います。

 卒寿祝いにカストロさんへは職人の方が90歳の誕生日に因んで90メートルの葉巻が作られました。長い葉巻は縁起が良いですね。カストロさんは政治の場から退かれましたが、その後も被爆者の方をキューバに迎えられて会談されるなど、とくに核兵器廃絶の取り組みに積極的に関わって来られました。キューバ危機の当事者であったカストロさんが語られる言葉は大変重みがあります。これからも世界平和のために長生きして頂きたいものですね。
私が去年のキューバ旅行で撮った写真が、NYタイムズのベストセラー「ハバナの夜」の訳本のカバー写真に採用された縁で著者のインタビューを聴いて原書を読んで、キューバで暗躍した組織犯罪について知ることが出来た。
Malecón, Havana
ブログの旅行記で掲載した写真が出版社の方の目に留まり、カバー写真にしたいというオファーを頂いたので、当然マフィアなんて撮影当時には頭の片隅にすらなかった。私の読んだUK版の原書の表紙ではショーガールと独裁者バティスタ、マフィアの大御所ランスキーによって構成されていて、一目見ただけで裏社会を描いた本だと分かる。
cover 18a
一方、日本語版のは月光が映えるライトアップされたマレコン通りで幻想的な雰囲気だが、一見マフィアとの関連性は薄いように思える。しかし、写真右部にはマフィアの歴史的会議が開催されたホテル・ナショナルがあり、さらにマフィアの後ろ盾だったバティスタの多大な資金投入で58年に建った旧ヒルトン・ホテルも確認できる。ヒルトンは革命政権によって接収され、現在はハバナ・リブレのネオンサインに照らされているが、当時はホテル・ナショナルなどと同様にカジノを保有し、キャバレーショーやナイトクラブもあった。旧ヒルトン・ホテルもマフィアが築いた歓楽地の下で商売が成り立っていたことがイングリッシュ氏のノンフィクション「ハバナの夜」で記されている。

「ハバナの夜」でなかでも興味深かったのは、ユダヤ系マフィアのランスキーが59年の革命後にこれは共産主義革命だと結論づけてハバナから脱出を図るシーン。信頼していた部下のアルマンド・ハイメ・カシエジェスと国外脱出しようとしたとき、彼が思いがけないことを言った。
「これは共産主義革命なんかじゃありません。フィデリスタの革命なのです。私はこの革命に残ります。フィデルの革命なのだから。」彼はランスキーから信頼されメンターとして慕っていたが、金より革命に心が動かされた。仕事を失ってまで、仕えるボスが不在で、カジノが閉鎖される革命政権のキューバに残る覚悟に胸が熱くなった。ランスキーは自分自身を否定されたような衝撃に驚きつつも、ホテル・ナショナルの庭のベンチに腰掛けながら少年期の体験を語り部下の説得を試みた。彼は12歳まで帝政ロシアに住んでいたが共産主義のロシア革命によって郷里を離れることを余儀なくされ、合衆国へ移り住んだ。実体験を基にキューバ革命は共産主義だと警告するランスキーだったが、彼の部下のハイメは「仮にそうだとしても、人民のための革命です。」と言い結局キューバに残ることになった。カストロさんの革命とマフィアの価値観の衝突をイングリッシュ氏はアルマンド・ハイメ・カシエジェスの証言を基に巧みに描写している。
nacional jardin
ホテル・ナショナルの庭は宿泊者以外にも利用可能で、マレコン通りを見渡すことが出来る。私は夕暮れ時に立ち寄り、椅子腰掛けピニャコラーダを一杯いただいた。カバーに採用された上掲載の写真とちょうど正反対の方面から撮影。
nacional hotel
ホテル・ナショナルは正面から見上げると迫力がある。最上階でマフィアのキューバにおける事業計画を話し合うハバナ会議が開催されたことは以前書いた。
2016.04.23 マフィアに支配されていたキューバの観光産業~ゴッドファーザーⅡで描かれたハバナ~

旅行中にマフィアに関連する写真がないか探していたら、まさにそのマフィアが写っている写真を発見!?
famoso.jpg
ホテル・ナショナルはちょっと立ち寄っただけだったが、有名人が利用したカクテルのバーの宣伝が目に留まり撮ったもの。ジョニーディップの下は名画ゴッドファーザーのコルレオーネ家のドンを演じたマーロン・ブランドで分かりやすいが、左の帽子をかぶり浮かなそうな顔をした白黒写真は実在のマフィアである。彼の名はアルバート・アナスタシアでマーダー・インクの副頭領で恐れられていたが、ハバナにおける利権衝突でこの世から葬られた。「ハバナの夜」でも記されているので詳しい話はそちらを参照して頂きたい。そして、見逃せないのがピニャコラーダの文字の左横にいる笑顔でナイスミドルといった感じの男性。彼は有名なマフィア、ラッキー・ルチアーノ。「ハバナの夜」ではルチアーノがランスキーに招かれ、祖国イタリアからハバナ入りするシーンから始まる。

ランスキーは資金と共に国外脱出したが、革命政権下でも裏ビジネスを続けようとするマフィアもいた。ランスキーに次ぎハバナで力があったマフィア、サント・トラフィカンテ・ジュニアは、革命が起きても所詮首がすげ代わるだけだろう思っていた。マフィアが独裁者と共に築き上げた悪徳の帝国の経済はすっかりマフィアの事業に浸っており、いまさら抜け出すことなど不可能だと考えていたのだ。しかし、カストロさんが率いるキューバ革命は金より正義を選んだ。

この経緯はヒストリーチャンネルのドキュメンタリーの予告動画で簡潔に語られている。革命政権に拒まれたトラフィカンテらマフィアはCIAに協力しカストロさんの暗殺を企てるが、成果をあげることは出来なかった。ケネディは多額の資金を投じマングース作戦というテロ活動でカストロさんの革命打倒を試みたが、ピッグズ湾侵攻同様に失敗に終わった。

それにしても、なぜ彼らは巨額の資金を投じてもカストロさんを暗殺できなかったのか?国際連合の総会に出席するためニューヨークに向かう飛行機で、カストロさんは記者が「あなたはいつも防弾チョッキを着ていると聞いていますが」という問いに対し「私はモラルという名のチョッキを着てニューヨークにやって来た。これがあれば心強い。このチョッキがいつも私を護ってくれてきたんだ。」と返答されている。カストロさんが今日まで生存されて来られたのはこの“モラル”があったからではないかと私は思う。先に紹介したアルマンド・ハイメ・カシエジェスさんが、マフィアの大御所の下での身入りの良い仕事を拒み、革命政権下のキューバに残ったように、ときに人は金よりモラルを優先する。CIAはマフィアだけでなくカストロさんの元愛人にも暗殺を依頼したが、彼女は当時、旧ヒルトン・ホテルに司令部を構えられていたカストロさんの個室に潜入し銃口をカストロさんに向ける段階までいけたものの、良心からトリガーを引くことは出来なかった。

キューバ革命は結果的にソ連に近づくことになり、社会主義化したがマフィアやCIAはカストロさんが率いた革命の本質を見誤っていた点に、根本的な間違いがあったように私は思う。それはキューバ独立の使徒ホセ・マルティの時代からキューバ人が求めて来た人道主義に基づいた革命であったのだ。合衆国とキューバは国交正常化の道を歩んだ今日でも、キューバ革命の真髄を誤解している人は多い。「ハバナの夜」の著者もカストロさんを「ラ・エンガニャドーラ」(詐欺師)と描写している箇所が上記のハイメ氏の証言後にあるが、私はこのような記述は間違っていると思う。
まず文法的誤りがある。「ラ・エンガニャドーラ」は女性名詞であり、男性の詐欺師なら「ラ・エンガニャドール」となる。恐らくこれは、前記事でも紹介したミス・バルブーハスを著者のイングリッシュ氏が同書で紹介していたからこれと混同していたのだろう。たしかにバストを偽装した女性なら「ラ・エンガニャドーラ」となる。(詳細は前記事参照)。そして、カストロさんを詐欺師呼ばわりすること自体がそもそもの誤りである。冷戦下で生き残るために巧みな戦術を国際社会で行使されたが、民を欺くことは決してなかった。

「ハバナの夜」のカバー写真になったマレコン通りの写真を撮ったあと、私はホテル・ナショナルが建つベダード地区方面へマレコン通り沿いを歩いて行ったが、途中で片足を失われた方が介護の方と共に早朝のマレコン通りで涼まれたり、腕立て伏せをされている方に出会った。キューバは経済的に貧しい国だが、福祉国家でもあり国民皆が等しく医療・教育の機会に授かっている。革命の本質である人道主義が今日まで貫かれているからこそ、今でも多くのキューバ人が革命政権を支持するのだろう。


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