「坂の上の雲」の主人公、秋山真之が観戦武官としてキューバへ赴いたことは先の記事でも紹介した。その当時の秋山の記録を詳細に記した島田謹二さんの「アメリカにおける秋山真之」に掲載されている、小村寿太郎と秋山真之の対話が興味深い。ドラマでも小村と秋山がニューヨークを歩くシーンなどが描かれていた。以下の対話は小村が秋山を在米大使館に招待し、ウィスキーを嗜むながら行われた。

小村「秋山さん、政党というものは、明治になってから外国をまねてできたものでしょう。外国の政党には、長い歴史があります。人はある主義を信ずるから、ある政党に入るのです。入った以上、その政党と運命をともにします。先祖はその主義のために血を流して、家はその党派のために浮き沈みを重ねてきたのです。ほんとうに主義を信ずる党員が生まれたから党派ができたのですよ。日本は違います。そんな人間も、そんな家も、そんな歴史も、ないじゃありませんか。」


秋山「そうですね。日本では政党ができたから、党員が集まったのだな。日本のいわゆる政党というものは、私利私欲のために集った徒党です。主義もなければ、理想もありません。ひどいものですな、このごろの政治の様子は。」


小村「そこまでいえるかどうかわからないが、利益のために節操を売ったり、権力者に近づこうとして自分の党派を犠牲にする連中も、ずいぶんいることはいるようですね。」

秋山「日本の外交を、そんな党派の手にまかすのはあぶないですね。」

小村「そうです。藩閥というものは、もう実体がありません。あれはもうshadowです。政党なんてものは、憲法政治という迷いからできあがった、一種のfictionです。両方とも、根もなければ実体もないものです。この二つが日本現在の政治界を争っているのですから、ほんとうに心配ですよ。」




小村寿太郎の憂いは的を得ている。一世紀以上経っていろいろあったがこの国の政治は何一つ変わっていない。21世紀初頭の現在の日本の政界は、何一つとっても実態がないのだ。自民、公明、社民や、みんなの党、そして民主党などなど、一言で片付けるなら、小村寿太郎が言い放ったとおりfictionに違いない。

こんな実体のない政党が治める日本だが、先人の方々の懸命の努力のおかげで、「坂の上の雲」で描かれた日露戦争以降、飛躍的に重工業を発展させ東洋随一の経済大国まで登り詰めた。ポピュリズムが招いた太平洋戦争で壊滅状態になったが、戦後も高度経済成長期を経て東洋一、物質的に豊かな経済大国の地位を築いた。司馬遼太郎さんが書いた「坂の上の雲」も、高度成長真っ盛りに書かれたわけだが、今日の日本にはもはや坂の上に一筋の雲すらない。

実体のない、主義主張を持たない政党が治める国であっても、経済成長の恩恵を享受できるなら民衆は大概満足する。しかし、21世紀の日本では経済成長の副産物である「物質的な豊かさ」すら享受しがたい。民衆の不満が爆発してもおかしくないわけだ。もし、日本の政党がフィクションではなく、ちゃんとブレない理念や主義主張を持つなら、逆境下でも有権者は自らの信条に基づいて、選挙権を行使するわけだが。。。そんなものがはじめっからないこの国では、有権者の選択肢はただ一つ、口当たりの良い公約を掲げる政治家に投票することだ。こうしてポピュリズムは暴走していく。

橋下知事は大阪都構想で、PCでいうハードを刷新していくことを、今日のたかじんの放送で言ってたが、肝心のソフトが実体のない代物だから、どうしようもない。そもそも橋下知事自体が、未だにどういう都構想の青写真を描いているの分からずじまいなので、怪しいものだ。
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