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ゲバラが広島から記した手紙の存在を知ったのは、トリスタン・バウアー監督の傑作ドキュメンタリー「チェ、新しい人間(Che,un Hombre Nuevo)」の冒頭を観たときのことだった。セサル・バジェホの詩「黒い使者」を朗読するゲバラの録音音声の次にこの手紙がナレーターによって朗読される。
Mi querida:
Hoy va desde Hiroshima, la de la bomba. En el catafalco que ves hay los nombres de 78 mil personas muertas, se estima el total en 180 mil. Es bueno visitar esto para luchar con energía por la paz.
Un abrazo
Che
愛する君へ
今日は原爆が投下された、広島から送ります。
棺台には7万8千名もの死者の名が刻まれ、全体で18万名に上ると推定されます。
この地を訪れることは、平和のために闘いにおいて糧となります。
愛を込めて
チェ


ゲバラの奥さんアレイダさんへ宛てた手紙。短い文章であるが、最後の一文からゲバラが広島で抱いた想いを汲み取れる。それまでゲバラはラテンアメリカの旅、革命戦争の最中、数多くの悲劇を目の当たりにしてきた。しかし、ゲバラは挫けず感じ取った悲しみを、闘争へのエネルギーへと転化させてきたのだ。広島でゲバラが抱いた計り知れない悲しみ、憤りは革命闘争における糧(かて)へと昇華されたことだろう。

59年に広島を訪問したゲバラだが、この頃には既に広島は復興を遂げていた。広島平和記念資料館は既に開館していたが、外国人の訪問は当時としては非常に稀なケースであったに違いない。wikipediaの上記資料館について書かれたページでは、世界中の著名人が広島を訪問した際に残していったいわゆる「平和へのメッセージ」(Message for Peace)を閲覧できる。59年時点では、このメッセージを遺す慣習はなかったようだが、このゲバラの一句「この地を訪れることは、平和のために闘いにおいて糧となります。」がそれに相応しい。ネット上で数多くの人がゲバラの広島訪問について記しているが、このメッセージの存在を知っている人はまだ少ないようだ。

ゲバラの広島訪問を考える際のもう一つの重要な資料に、彼が帰国後に執筆した日本についてのレポートがある。このレポートでは日本の産業、安全保障問題などについて非常に興味深い考察がなされているが、ここでは広島訪問について記された箇所を紹介したい。

Impresionante testimonio es el que ciento seis personas hayan muerto este año de enfermedades provocadas por las explosiones ocurridas hace catorce años en Hiroshima y Nagasaki.
印象的なのは、14年前に広島と長崎で起きた核爆発によってもたらされた病気で、今年106名の方が亡くなられたことだ。
Visitamos aquella ciudad mártir, reconstruida hoy totalmente; un catafalco de cemento guarnecido por una bóveda del mismo material y teniendo por fondo las ruinas del edificio donde cayó la bomba, constituyen el monumento a los caídos.
今日すっかり復興を果たした、その犠牲者の街を私は訪れた。アーチ状に縁取られた鉄筋と、その背後にある原爆が投下された建物の廃墟が、犠牲者の慰霊碑となっている。
Setenta y cuatro mil nombres de personas que pudieron ser identificadas es todo lo que contiene el catafalco... y la ira impotente, la desesperación concentrada, de quienes han visto perecer a tanto ser humano en una inigualada orgía de fuego y muerte.
身元が確認できた7万4千名の方の名前が、その慰霊碑に刻まれている。灼熱の炎のなか、死んでいったヒトを目の当たりにした者達の、やり場のない憤り果てしない絶望

Anexo a la tumba existe un museo atómico donde se contemplan desgarradoras escenas que alcanzan, no solo a los días oscuros de la guerra, sino también a los del atolón de Bikini, en cuya cercanía explotó una bomba experimental que tocó con sus radiaciones a pescadores japoneses que navegaban en mares cercanos.
慰霊碑の近くにある原爆資料館で、悲痛な光景を目の当たりにした。そこでは、戦時の暗い日々に関することだけでなく、ビキニ環礁についての資料もあった。その環礁の近くで水爆実験が行われ、近海を航行していた日本の漁船に放射能が降り注がれた。
Todo es nuevo en Hiroshima, reconstruido después de la espantosa explosión, pero señales indelebles de la tragedia flotan sobre la ciudad y en los nuevos edificios, réplicas exactas, muchas veces, de los que anteriormente ocupaban el lugar.
恐ろしい爆発の後に復興された広島では、何もかもが新しい。しかし消すことのできない悲劇の痕跡は、爆弾が投下された所に位置していた建物の、当時のまま残されたレプリカの中を漂っている。
Se adivina, sin embargo, una falta de continuidad. Es una sensación difícilmente definible que hace aparecer a la ciudad como la reproducción de algo ya muerto.
しかしながら、両者には連続性に欠けるように思える。この街を、あたかもすでに死んだものの再生のように見せることに、私は釈然としない。


上記のレポート引用箇所の末尾で太字で掲載したゲバラの文章からは、ゲバラが広島で起きた事の顛末を、真実を探ろうとする姿勢がうかがえる。このテーマについてはまた項を改めて書いてみたい。
Recúperese Japón de la tragedia atómica.
Publicado en la revista Verde Olivo el 19 de octubre de 1959.
このレポートの題は「原子力の悲劇から日本は復興する」。ここで記された「原子力の悲劇」la tragedia atómica
とは言うまでもなく45年に長崎と広島に投下された原子力爆弾によってもたらされた悲劇を指している。しかし、今日この言葉を目の当たりにすると、福島で起きた原発事故をも想起させられる。

いまわれわれ日本人に求められている姿勢とは、ゲバラの様に悲惨な経験を平和のためのエネルギーへ昇華させること、そして真実を見極めることだろう。福島と広島、長崎の問題を考える際、心に留めておきたいゲバラからのメッセージである。
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