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ミラマール地区からホテル・パルケ・セントラルの部屋に戻るとベッドメイキングされ、洗面所などのタオルもしっかり交換されていました。快適なホテルの部屋で早々に出かけるのも名残惜しい感じがしましたが、まだまだ観に行かなければならないところがあります。カメラのバッテリーを充電し、洗濯物が乾くように空調を整えるなどの用事だけ済ませて、結局10分も経たないうちに再び出かけることにしました。

ホテルから出ると雨がパラついてきました..部屋に引き返して傘を持ってくるのも面倒だったので、濡れる前にビシタクシーを捕まえました。とりあえずフロリディータまで連れて行ってもらって、一杯飲んだ後に革命博物館まで行ってほしいと運転手さんに言うと、どっちも目と鼻の先だしどうせなら1時間チャーターしてみたらどうかと提案されました。とりあえず4ペソでバーと革命博物館へ連れて行ってもらうことにし、道中でその後どうするか考えることで落ち着きました。
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フロリディータでフローズン・ダイキリを一杯飲んだ後に、ヘミングウェイの像と並んでビシタクシーの運転手さんに撮ってもらいました。ヘミングウェイがサングラスをカウンターに置いていたので、君も外してみたらどうだいと言われ、こんな感じで写真におさまっちゃいました。なかなか上手く撮れてますね。右奥の写真はカストロさんとサングラスをかけたヘミングウェイで、たしかハバナでの釣り大会で撮られた写真ですね。
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革命博物館へ向かう道中、ついでにバカルディのビルも案内してもらいました。ラム酒はバカルディではなくハバナクラブの方が美味いねと言うと、運転手さんもこちらの意見に賛同してくれはりました。他の運転手さんもそうですが、皆さんほんとうに持ち上げ上手です。このビルをエレベーターで登ると眺めが良いようですが、この曇天なので諦めることにしました。
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革命博物館に隣接するグランマ・メモリアルが見えてくるころには、どしゃぶりの雨が降ってきました。やはりわずかな距離ですが自転車タクシーを捕まえて正解でした。
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雨が降って来てもこの通りビシタクシーならしのぐことが出来ます。さて、ようやく目的地の革命博物館に着いたのですが、博物館から出た後もこの雨が続いていることを想定すると、旧市街地をまわるときにビシタクシーがあると便利です。運転手さんに(名前はフィデルと言う方でカストロではないよと冗談をとばされていましたが)事情を話すと博物館前で待っててくれると言われました。さらに博物館から出た後から1時間で15ペソでいいと言われたので、応じることにしました。しかし、よく考えると僕が博物館で見学中にどしゃぶりの雨の中待っててもらうのも酷な話です。加えて僕は革命史に興味があって見学するのに1時間以上はかかるから、とりあえずここまでの運賃4ペソだけでも先払いしようとすると、料金は後で良いとのことでした。
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大雨で建物の外観を撮る余裕もなく入り口に一番近い位置に停まってもらい、凄まじい勢いで降る雨の中、一目散に博物館へ駆け込みました。キューバの革命博物館はもともとは大統領官邸だったのですが、バティスタ独裁時には独裁者の居城だったこともあってか、独特の雰囲気が漂っています。この悪天候がより陰鬱な雰囲気を助長しているのかもしれません。入り口に飾られているカストロさんを描いた作品も、何も知らない人が見たらまるで政界を陰から操っている悪いお爺さんのように見えるかもしれません。
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これは2010年9月28日にカストロさんがCDR(革命防衛委員会)設立50周年を記念してハバナ大学の大階段前で演説を行われた際に身につけられていた帽子のレプリカだそうです。

そのときの演説動画も残っています。このころは、日本の被爆者の方々やピース・ボート一行と会談され、核問題について話されていました。
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旧大統領官邸(現革命博物館)の玄関。
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銃痕があるのが分かるでしょうか?これは1957年3月13日に都市部で独裁政権に対して闘っていた革命幹部会の有志が大統領官邸を襲撃した際に遺したものです。目的であった独裁者バティスタの暗殺は失敗に終わり、襲撃に参加した青年らは独裁軍によって殺され、多くの若い革命家の流血を伴いました。しかし独裁者に立ち向かう革命組織の存在を世に知れ渡らせ、キューバ革命史に大きな影響を与えました。

青年らの指導者であったホセ・アントニオ・エチュベリアは死ぬ間際に次のように記しています。
”Si caemos, que nuestra sangre señale el camino de la libertad. Porque, tenga o no nuestra acción el éxito que esperamos, la conmoción que originará nos hará adelantar en la senda del triunfo.”
「私たちが倒れることがあっても、私たちの流血は自由への道しるべとなるだろう。私たちの決起が成功しようと、成功しまいと、もたらされる衝撃は勝利への道を推し進めるであろう。」
エチュベリアは襲撃にあわせラジオ局から独裁者の死を宣言し、その後、大学へ向かう道中で殺されました。25才という若さで亡くなったエチュベリアですが、彼の死は遺書に記されている通り無駄ではありませんでした。シエラ・マエストラでのカストロさんらの7月26日運動の活躍がキューバ革命史で脚光を浴びますが、都市部で革命に殉じ革命を縁の下から支えた青年らのことも忘れてはいけません。

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旧大統領官邸のエントランスホール。

さて、革命博物館は僕にとって見所が満載で、順路通り観てきた展示物について書いてみようと思っていたのですが、時間の制約上、今回は旅行記ということもあり、革命史を説明した展示物は割愛しようと思います。前々回のマルティの記念館の記事で没後120周年と絡めて彼の思想について書きましたが、革命博物館の展示物も各々のテーマと併せて個別に書ければと思います。ここでは旧大統領官邸という歴史的建物に焦点を当てていきます。

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ここは革命後も重大な決議や話し合いが行われた閣議室。カストロさん、弟のラウル、ゲバラ、カミーロさんら革命政権の幹部がここに集い話し合っていた姿が思い浮かびますね。
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例えば、説明書きにあるようにキューバ危機直後の1962年10月30日、カストロさんは査察のためにキューバを訪れられたウ・タント国連事務総長をここに迎えられました。
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閣議室の奥に飾られている絵画の中のデスクに座られているのはキューバの国父であるカルロス・マヌエル・デ・セスペデス。
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大統領執務室。
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こちらにもカルロス・マヌエル・デ・セスペデスの肖像が飾られていました。彼はキューバ共和国初代大統領でした。
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圧政を敷いて来たバティスタ独裁体制から革命後までの当時の写真が説明書きと共に展示されていました。59年2月に首相に拝命されたカストロさん、60年8月に外資企業の国営化を決議されたカストロさんとドルティコス大統領の写真がありますね。
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部屋に置かれていた黄金のダイヤル式電話機。これはバティスタ大統領がITT(国際電信電話会社)から受け取ったもの。名画「ゴッドファーザーⅡ」では United Telephone and Telegraph 社からのプレゼントとして登場しました。映画ではバティスタ大統領がキューバを食い物にしていた合衆国の企業とマフィアを閣議室に招き、黄金の電話機を回覧していた様子が描かれていました。
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2007年に亡くなられたヴィルマ・エスピンさんを描いた作品。ラウル・カストロ大統領婦人で、シエラマエストラでも共に闘われていました。こちらもさきほど紹介したカストロさんを描いた作品同様、なんだか悪そうな雰囲気があります。上のゲバラ少佐は元の写真そのままでご機嫌ななめですが。
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鏡の間(Salón de los Espejos)は修復工事中でしたが、天井画が壮大でした。
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ベルサイユ宮殿の鏡の間をモデルにして造られたそうです。
こんな大きい鏡、一体何に使うんでしょうね....

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ゲバラとカストロさん、カミーロさんのゲリラ戦時の様子を描いた彫刻が館内にありました。各々の人物の個性をポーズで巧みに表していますね。

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博物館内の展示物を観終わったら、大きなキューバ国旗が翻る中庭に出て、グランマ・メモリアルへ移動します。1時間ぐらい博物館にいましたが、ようやく雨は止んだようです。

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中庭を通ってグランマメモリアルへ向かう道中、館内で最後に待ち構えている悪の四天王。バティスタとレーガン、ブッシュ親子らの革命に対する貢献を描いた作品。もちろん皮肉です。
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西語、英語に加えてここだけなぜかフランス語で説明が記されています。よく見たら英文解説でhelpedのeが抜けてました。合衆国との国交正常化交渉中の今日においても、博物館内に飾られているんですね。

次回はグランマ記念です。
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