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革命博物館の展示物を見学後に向かったのはメモリアル・グランマ。キューバ革命史に登場した輸送機や大型兵器が展示されています。
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1956年12月2日にカストロさんら7月26日運動の革命家らが、独裁者から祖国を解放するためにメキシコからキューバへ上陸した際に用いられたヨット、グランマ号。革命戦争勝利後はハバナ湾に輸送され保管されてきました。1976年にキューバ上陸20周年を記念して、このメモリアル・グランマが建設され、ここに移送されたグランマ号はその後も厳重に警備されて来ました。建物の柱はキューバの象徴である椰子の木を模してデザインされ、記念館は上陸地点の植物に囲まれています。
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ショーケース内に保管されているグランマ号ですが、2011年のプラヤ・ヒロン50周年記念式典では学生らと共に革命広場を行進しました。
2011.04.16 壮大な軍事パレード~プラヤ・ヒロン50周年記念~

プラヤ・ヒロンとは、1961年4月に合衆国の諜報機関CIAが支援した亡命キューバ人が「祖国キューバを共産主義から解放する」ために上陸した地名。俗にピッグズ湾侵攻事件と呼ばれていますが、メモリアル・グランマ内に当時使用されたレシプロ戦闘機や戦車が展示されています。
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レシプロ機は後で説明しますが、手前の人物の写真はプラヤ・ヒロンでの戦いで殉死された方々。

キューバ革命の理念は先の旅行記でも書きましたホセ・マルティの思想を実現することにあり、当初彼らが志向したのは社会主義ではなく祖国の誇りと尊厳を取り戻すための民族主義、人道主義に基づいた革命でした。実際、カストロさんがキューバ革命は社会主義革命だと宣言されたのはこのピッグズ湾侵攻事件を受けた直後のことでした。当時、冷戦構造下にあった世界情勢を考えると、武力による革命の打倒を目指した合衆国に抗うためには、ソ連に支援を求める他に選択肢はなかったのかもしれません。
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メモリアル・グランマでグランマ号の次に観るのがキューバ危機時に使用されたミサイルと当時、キューバの領空を侵犯し低空飛行を繰り返してついに撃ち落とされたU2偵察機の残骸。ピッグズ湾侵攻がキューバへ社会主義への道を後押ししたように、キューバ危機もまた大国の圧力によってもたらされたといえます。合衆国、当時権力の座に就いていたケネディ兄弟は、ピッグズ湾侵攻作戦の失敗を取り戻すためにあらゆる手段を講じました。大金が費やされたマングース作戦と呼ばれる対キューバ破壊工作、いわゆるテロ活動を亡命キューバ人を用いて実行しました。また、キューバ近隣のカリブの島で大規模な軍事演習を行いました。合衆国の喉元の友邦を失うことを恐れたソ連の指導者フルシチョフは、合衆国のキューバ侵攻が近いことを予想し、核兵器をキューバへ配備する決断に踏み切りました。
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さきほど紹介したミサイルの写真奥にソ連製T-34戦車が映っていますが、T-34から飛び降りられたカストロさんの有名な写真をモチーフにした作品も展示されていました。ピッグズ湾侵攻時に使用された戦車で、カストロさんは前線近くに自ら赴き祖国防衛のための戦いの指揮をとられました。指導者自ら体を張って戦地で戦うことによって、祖国防衛のために戦っていた戦士らの士気は一層高まったに違いありません。
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この戦闘機はプラヤ・ヒロンで侵略者を撃退し活躍したレシプロ機。イギリスのホーカー社製シーフューリーです。ピッグズ湾侵攻の前日61年4月15日に制空権を確保するために、CIAの工作により革命軍を表すFAR(Fuerzas Armadas Revolucionarias)とペイントされたB-26がニカラグアから飛び立ち、キューバの戦闘機5機を破壊しました。シーフューリーは2機が爆撃されましたが、空襲を逃れた機体は侵攻が始まった日に出撃し戦果を挙げ祖国防衛に貢献しました。
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グランマ・メモリアルには他にもシエラ・マエストラでの戦いでバティスタ独裁軍が保有していた合衆国製のKingfisher(カワセミの意)の別名を持つ機体が展示されていました。この機体は革命軍によって鹵獲されたものです。
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戦闘機は他にもソ連製のミグ21をカバーニャ要塞近くで観てきました。


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輸送車なども展示されています。対バティスタ戦でゲバラの部隊で使われる予定だった防護車両。実戦投入されるまえに革命戦争が終わりました。
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前の記事で紹介した57年3月13日の大統領官邸襲撃時、青年らを輸送したトラックも展示されていました。革命博物館の玄関ホール同様、弾痕が生々しく遺っています。
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メモリアル・グランマのグランマ号の周りには合衆国やイギリス製の戦闘機だけでなくソ連製の戦車、ミサイルが展示されていて、ある意味異様な光景ではありますが、キューバが歩んで来た歴史を如実に物語っています。
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