旧市街地からタクシーで海底トンネルを抜け対岸のカバーニャ要塞に着きました。正門から厳かな雰囲気がありますね。
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お堀にかかる橋を渡って入城。堀の深さは12メートルもあるそうですが、城壁も同じぐらい高く張りめぐらされています。大英帝国による侵略からハバナを護るために築かられました。当時、アメリカ大陸で最大規模の要塞だったそうです。。1763年から74年にかけてカルロス3世によって建築が命じられたことから、正式名称はサン・カルロス・デ・ラ・カバーニャ。建設には1400万ペソも費用がかかり、建築費を聞いたカルロス3世は「それならこのマドリードから見えるに違いない」と望遠鏡をのぞいたという。

観る者を圧倒させる荘厳な要塞は、一度も攻撃されることはなかったそうです。不戦の城といえば日本では姫路城がありますが、白鷺城と呼ばれた姫路城とは規模も雰囲気も違います。日本の城より武骨なつくりですが、比べ物にならない迫力がありますね。この門の横の城壁の上を歩いたので、下記でその写真も紹介します。
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要塞内の建物の間の通りと歩いていると、去年訪れた舞鶴の赤レンガ倉庫が思い出されました。
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教会の入り口を発見。せっかくなので入ってみることにしました。
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まるで洞窟の中にある教会の様です。当時は1300名の兵士が要塞内に配置されていたそうですから、彼らの生活に必要な教会も建てられていたんですね。
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夜にはカニョアソと呼ばれる大砲の儀式が行われる広場にやって来ました。この日はまだカニョアソが始まる時間まで待つには早すぎる時間帯だったので、別の日に再訪することにしました。
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ハバナ湾に面した城壁の上からの眺め。悪天候でしたが、早朝に月光に生えるマレコン通りを眺めていたプンタ要塞のあたりから、ホテル・ナショナルまで見渡すことが出来ました。
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ハバナ湾に狙いを定める青銅のの大砲。当時、120門の砲が配備され、海賊の侵入を防いでいましたが、今日では外国船に向けた祝砲などに用いられています。昨年、海上自衛隊もハバナ入場時に祝砲で迎えられました。このときのことについて、モロ要塞の管制室のおっちゃんと話したのでまた後日リポートします。
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先ほどまでいた旧市街ですが、自転車タクシーから自動車タクシーに乗り継いだフエルサ要塞辺りの様子を見渡せます。

城壁の上を歩いて、元来た方角へ戻ってみました。カバーニャ要塞に展示されているというミサイル危機の遺跡を観ておきたかったのですが、要塞内の案内地図にも記されていなかったので、とりあえず見渡しの良いところから場所を確認することにしました。
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見つけました。キューバ危機50周年を記念して展示されたニュースを読んで2年が経つので、ひょっとしたら今はもう展示が終わっているのかもしれないと心配していましたが、まだ健在なようです。しかし、城壁と堀によって隔てられているのでミサイルが展示されている場所までここからでは辿りつけそうにありません。とりあえず諦め、誰かに行き方を聞くことにしました。

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とりあえずせっかく登って来たので他に観る場所はないかと要塞上層を歩いていると怪しい入り口を発見。どこに通じているのか気になったので一方をのぞいてみるとゴミで埋まってました…これはひどい。
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もう一方をのぞくと、こちらはなぜかゴミ一つ落ちてなかったので、意を決して降りてみることにしました。到着したのはさきほど入城する際にチケットを購入した場所。。ただし鉄格子で封鎖されていたので戻ることは出来ませんでした。さっきチケット購入時に見事な正門ですねと話していた係員さんが、鉄格子の向こう側にいる僕に気づいて吹き出されました。ここへ降りてくる観光客はそうそういないそうです。
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サビついて南京錠がかかった扉。この城塞は独立戦争や革命戦争時、ゲバラが占領した後に監獄や収容所としての機能も果たしていたので、ひょっとしたらここがそうなのかもしれませんね。ちょっと気になります。
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城塞上部からの眺めも良いですね。
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旧市街のカピトリオ手前に見える城塞が気になりますね。キューバの国章が正面に刻まれています。あれは外観が要塞なのですが、実は現役の警察署です。最終日に建物を間近で観て来たので後ほどリポートします。
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城塞上部を散策しているといつの間にか、さっき観ていた正門前まで戻ってきました。柵とかも一切ないので落ちたら一巻の終わりですね。それにしても良い眺めです。
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大砲の儀式が行われる広場まで戻ってきました。次に向かった先はそう、ゲバラ博物館です。
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ゲバラは周知のとおり、ハバナ入場後はこのカバーニャ要塞に司令部を置き、諸々の執務をこの要塞で行いました。

このカバーニャ要塞、トリップアドバイザーなどの口コミを眺めていると、ゲバラが革命後に銃殺処刑を執行した悲しい場所、なんて記している方がいます。ここでは詳しく書きませんが、バティスタ独裁政権時に罪なき民衆を殺害した者たちがこの要塞に収監されました。彼らは裁判にかけられ、死刑判決が下されたものに対して銃殺刑が執行されました。

独裁政権の被害者が証言するシーンなどが映されています。

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博物館に展示されていたゲバラの彫刻。一瞬チョコレートで出来ているように見えたので、職員さんにチョコレートですか?と冗談で聞くと笑われました。しかし、細部までよくできてますね。
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ゲバラがキューバ西部ピナール・デル・リオで演習中に使用したM1ガーランド銃や同志が使用していた迫撃砲が展示されていました。
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シエラ・マエストラでの行軍時にゲバラが使用していたカバン。
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これは97年にゲバラの遺骨がキューバに返された際に、カストロさんがサンタ・クララで行われた演説で当時の音声も遺っています。

”戦士は息絶えても、思想は絶えることはありません。(...)(ゲバラ殺害を指令した者たちは)なぜ彼を殺せば戦士ではなくなるという考えを抱いたのでしょうか?
現在、チェはイゲラ村にはいません。いまやチェは守るべき正義があるあらゆる所にいるのです。” フィデル


イゲラ村でゲバラの暗殺に立ち会ったのは、CIA工作員フェリックス・ロドリゲス氏。今、朝日新聞の「ゲバラの実像」特集でちょうど彼への取材記事が連載されています。

次回はキューバ危機の遺跡についてリポートします。
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