上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
前回はカバーニャ要塞近くに展示されているキューバ危機時に配備されたソ連の核兵器について書きましたが、今回はキューバ人の視点から書いていこうと思います。
504DSC07195.jpg
写真はキューバ危機の遺跡を見張られているキューバ軍の方。カバーニャ要塞からモロ要塞へ徒歩で向かうと、軍服姿の方から博物館に入らないかと声をかけられました。

Google Mapの航空写真地図でカバーニャ要塞の東を拡大すると、ミサイルや戦闘機を確認することができます。キューバ危機時にはU2偵察機が撮影したフィルムをCIAの分析官がこんな風にで確認していたのでしょうが、いまでは世界のあらゆる場所を衛星を通じて閲覧することが可能なんですね。

兵隊さんにはミグ21の前で記念撮影もしてもらい、奥のミサイル等も案内してもらいました。地対空ミサイルの前でせっかくだから君の写真も撮っていいかい?とたずねると、彼は心地良く了解してくれましたが、ミサイルより高射砲の前で撮ってほしいとのことでした。ということで丘を下って指定席に向かいました。
504DSC07069.jpg
最初はこの兵士はアナログ兵器が好きなんだなと思ったのですが、後から指定された理由が分かってきました。キューバ危機時、核兵器やミサイル等を実際に操作していたのはソ連兵でしたが、高射砲や対空機銃 などはキューバ人が操作し、祖国の空を護っていたからです。
505DSC07048_49_50_51_52_デフォtonemapped
キューバ危機時に配備されていたミグ21の尾翼には鎌と槌を組み合わせたソ連の標章と共に、キューバの国旗が塗装されていました。ミグ21の活躍はアンゴラ内戦を描いた映画「レッド・ゾーン ~熱砂の激戦~(原題 Kangamba)」でも観ることが出来ます。ミサイル危機後、キューバはソ連との関係だけでなく、第三世界諸国と連帯する姿勢を一層強めました。ここでは詳しく書きませんが、アンゴラ内戦へ介入したキューバは、南アのアパルトヘイト体制崩壊やナミビアの独立を支援しました。苦境に立たされていた第三世界の国を助け、冷戦の時代においてもキューバは独自の外交路線を歩みました。アンゴラ内戦収束へのキューバの貢献は日本ではあまり知られていませんが、キューバが今日において世界中から評価される理由の一つでもあります。
504DSC07009_10_11_12_13_デフォルトtonemapped

さて、キューバ危機に話を戻しますが、キューバ危機の遺跡...便宜上、キューバ危機展とでも呼びましょうか、この野外展ではキューバ危機についての解説も看板に掲載されていました。
504DSC07002.jpg
10月危機
「プラヤ・ヒロンにおける帝国主義者であるヤンキー敗北後(ピッグズ湾侵攻の合衆国の敗北)、合衆国政府はキューバに対する攻撃性を激化させていった。こうして、いわゆる 10月危機(カリブ危機、ミサイル危機とも呼ばれる)が起きたが、ヤンキーの真に意図するところは、直接キューバへ軍隊を送り込み、キューバ革命を壊滅させることにあった。」と記されています。
504DSC07003.jpg
先の記事で紹介しましたキューバ危機の最中に撃墜され無残な姿となった偵察機U2と危機を解説する看板。

先の記事で紹介しましたNational Security Archivesで公開されている撃墜されるまで偵察機が辿った空路。今回は旅行記なので詳しく書きませんが、偵察機が地対空ミサイルのレーザー照射を浴びていたことを合衆国は把握していたにもかかわらず作戦は続行されていました。
504DSC07082.jpg
「キューバを偵察しようと試みる者は皆、戦闘を覚悟しなければならない。」フィデル
これはケネディ大統領の10月22日のテレビ演説に対し、カストロさんが翌日に行われたテレビ演説から引用されたもの。
504DSC07199.jpg
23日の演説でカストロさんは国民に対し、現在キューバが直面している危機について話され、合衆国の侵攻からキューバを護りぬくことを表明されました。この演説で国民の士気は高まり、キューバ国民は合衆国の脅威に恐れることなく、一丸となって祖国防衛のために闘う決意を示しました。
cf 2012.10.23 尊厳は高くつくのか?~キューバ人は老若男女問わず一致団結し運命をともにする!~

「我々はいかなる検疫の企ても、わが国に対する査察も、断固として拒否する。我らの国に対して誰にも視察させはしない。我々は成すべきこと、我らの国の安全と主権を護る術を心得ている。...我々が核の標的になっていると脅すのか?我々は脅しには萎縮しない。我々は尊厳をもって遭遇した時代を生き抜かなければならない。共に生き抜く術を会得しなければならない。.....皆が、老若男女を問わず、この有事の際に、全員が一致団結するのだ!われらは、皆が、革命家も愛国者も運命を共にするでしょう。そして勝利をつかむことでしょう。
祖国か 死か!われわれは勝利する!」

核戦争の脅威、大国の侵攻にも屈することなく、自国の主権を護ることを宣言されたカストロさんの指導力について、後にゲバラは「別れの手紙」で次のように評しています。
(キューバでは君と)壮大な日々を過ごした。あの輝かしくも悲しいカリブ危機の際は、君の側にいて、国民のひとりであることを誇らしく感じていた。あの頃の君ほど光り輝いていた政治家がほかにいるだろうか。僕はためらいなく君に従い、ものの見方を受け入れ、危険と道理を理解できたことをも誇りに思っているのだ。
ゲバラはキューバ危機の最中、合衆国の攻撃が最も想定される西部地方の防衛を任され、最前線で防衛の任務に当たっていました。

2012.10.20 "前衛(Vanguardia)"としてミサイル危機の最前線に立ったゲバラ
504DSC07203.jpg
危機の最中のキューバ人を映した写真も掲示されていました。対空砲の部隊を激励されているカストロさんやホテル・ナショナル前で空からの攻撃に備えている部隊。右には女性が映された写真もありますが、危機の最中でも彼らは日常生活の営みを続けた、と解説されています。

キューバ危機が終結した後の演説で、カストロさんは危機の最中のこのような国民の姿勢に感動した旨を表明されました。核ミサイル等は米ソ間の指導者間による取り決めで、国連の査察の下キューバから撤去されることになりましたが、キューバには大切なものが残っていると。

-Fidel Castro,1ro. de noviembre de 1962Un pueblo así, que de tal manera y tan serenamente, tan admirablemente afronta...

Posted by カストロ研究室Despacho de Fidel Castro on 2012年10月28日

「これほどまでに極めて冷静で素晴らしい態度で、苦境に立ち向かう人民には、彼らが希求する権利、すなわち平和や尊敬、尊厳、威信を獲得する資格があるのです。私たちは撤去することが出来ない、これからも決して撤去されることがない、モラル上の長距離ミサイルを保有しています!これこそが、私たちの最も強大な戦略兵器なのです。防衛用の、攻撃用の戦略兵器なのです。」

キューバ危機後、キューバに対する不可侵条約が米ソ間で結ばれました。キューバが合衆国から目と鼻の先の位置にあるにもかかわらず、長らく軍事介入もなく革命を存続させてきたのは、この条約によるとこも大きいと思いますが、それ以上にキューバを護って来たもの、それはまさしくカストロさんが述べられたモラル・ミサイルではないでしょうか。これは決して美辞麗句ではなく、上記でも書きましたキューバの第三世界に対する貢献などを通じて、対外的にキューバ人がモラルを発信することにより得られた外交力を意味します。合衆国が革命政権を潰すために軍事介入を行えば、キューバを評価する世界中からの非難は免れることが出来ません。まさにソフト・パワーこそキューバの強みと言えます。

旅行記ということ忘れて、少々長くキューバ危機について書いてしまいました。キューバ危機展に話を戻しますが、ここではソ連のソユーズ38号のミニチュアも展示されていました。

Primer cosmonauta cubano Arnaldo Tamayo Méndez y Soyuz 38キューバ人初の宇宙飛行士、アルナルド・タマヨ・メンデスさん。ソ連の宇宙飛行士ロマネンコさんと共にソユーズ38号で宇宙へ飛...

Posted by チェ・ゲバラ研究室Despacho del Che Guevara on 2015年6月4日

キューバ危機後、キューバ抜きの米ソ間の話し合いでミサイルが撤去されたことでソ連とキューバの関係は一時冷え込みましたが、関係は再び回復しました。キューバ危機時には核ミサイルをもって帝国主義の総本山と共に対峙したキューバとソ連ですが、1980年9月には有人宇宙飛行を共に果たしました。核兵器に使用されるミサイルも有人ロケットも同じ技術だそうですが、展示されている有人宇宙船ソユーズ(ミニチュア)はこのキューバ危機展の中で唯一、人類にとって有益なものに違い有りませんね。

旅行記にもかかわらず堅い話が続きました。次回は”ソビエト連邦料理”についてレポートします。お楽しみに。

※過去に書きましたキューバ危機関連の記事の中からいくつか抜粋して下記にリンクを貼っておきます。
2012.10.15 祖国防衛のための苦渋の決断~核兵器配備に伴うリスク~
2012.10.23 半世紀もの間、首尾一貫したキューバ危機に対するカストロさんの省察
2012.12.07 キューバ危機の年のアントニオ・マセオの命日~われわれは皆、マセオであった~
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://hastasiempre.blog104.fc2.com/tb.php/602-3c84014f
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。