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80年前の2月26日、革命思想家、北一輝の著書『日本改造法案大綱』に影響を受けた青年将校が率いる約千五百名の兵が政府要人を暗殺し、日本の中枢である永田町一帯を制圧した。二・二六事件として記憶されるクーデター未遂は、学校教育では“軍国主義の始まり”と教えているが、それはあくまで結果に過ぎない。事件の首謀者である青年将校が志向した維新革命そのものや、当時を取り巻く状況は広く知られていないのではないだろうか。

事件が起きた1936年、日本のみならず世界中で不穏な空気が漂っていた。スペインでは後の独裁者であるフランコ指揮する軍部が人民戦線政府に対し叛乱し内戦が勃発した年である。日本とはあまり関わりのない内戦だが、世界中から人民政府を護るために義勇兵がスペインに集った。キューバ革命の指導者チェ・ゲバラの両親も内戦へ直接参加はしていないものの共和派を支持し、カミーロ・シエンフエゴス両親は共和派に属していたことから内戦後、キューバへ亡命している。内戦に勝利したファシズムは世界中を不安の渦に陥れた。

この頃の日本は映画「風起ちぬ」でも一部描写されていたが、経済格差に加え不況が続き失業者が街頭に溢れていた。普通選挙は実現されていたが、無策な政党が票欲しさに政争を繰り広げ、民意は蔑ろにされていた。まさに80年後の今日の日本が抱える問題と重なるところもあるが、経済格差の度合いは今日より著しく大きかったという。貧困に喘ぐ農村部では娘の身売りが公然と行われ、欠食児童が相次いだ。

そんな状況に憤り起ち上がったのが先述の青年将校だった。彼らのほとんどは、仙台の士官学校を卒業したばかりだったが、今でいう久留米の陸自の幹部候補生学校を卒業したばかりの士官といったところだろうか。将来が渇望される青年将校を、革命などという世迷いごとへ駆り立てた当時の状況は、今日ではなかなか想像し難いものがある。

すべてを捨てる覚悟で決起した青年将校であったが、維新革命は昭和天皇に認められず、彼らは賊軍のレッテルを貼られ敗北した。思想の拠り所となった『日本改造法案大綱』を記した北一輝も青年将校同様に裁判にかけられ、処刑される。北の辞世の句は有名だが、この事件の顛末を如実に語っている。

「若殿に兜とられて負け戦」

“若殿”は昭和天皇、”兜”は軍隊を指す。北が自らの理想である”純正社会主義”を実現する起爆剤として期待した軍隊であるが、若殿の鶴の一声ですべてが水泡に帰した無念が伝わってくる。北の”純正社会主義”は、歯止めのかからない格差を是正することを志向したが、幸徳春水の思想や共産主義のように国体を破壊するものではなく、天皇の立ち位置に修正を加えるものに過ぎなかった。Wikipediaで北が”国家社会主義者”と記されているが、キューバ革命のように国家を否定せず社会主義革命を進めていく考え方だ。皮肉にも北の思想の大部分はGHQ、すなわち戦勝国によって実現されることとなった。

さきほど7時のNHKニュースで2・26事件が「今も高い関心を集めている」と紹介されているのを見たが、実際はタブー視されている様な感がある。そして現在の状況は少なからずあの事件が起きた時代と重なるものがあるのだ。

二・二六事件は日本の近代史を考える上で最も重要な事件。当時の軍法会議の記録の公開が待望されます。

Posted by チェ・ゲバラ研究室Despacho del Che Guevara on 2016年2月25日

NHKで2・26事件紹介後、民主、維新、共産等の野党連合結束のニュースが報じられた。方針が真っ向から対立するような政党が、権力の座に就くことを目的に団結する今日。2・26事件当時の政界も昭和維新の歌「権門上に傲れども 国を憂ふる誠なし」にあったように無策な政治家が世にはびこっていた。
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